2015年のノーベル医学・生理学賞受賞者の屠呦呦氏の名前と中国古典

概要
2015年にノーベル医学・生理学賞を受賞した屠呦呦氏の「呦呦」は、中国最古の詩集『詩経』の「鹿鳴」という詩に由来する。この詩には鹿がヨモギを食べる描写があり、これは偶然にも屠呦呦氏がヨモギの一種からマラリアに効く成分を発見したことに符合する。

屠呦呦という名前

2015年のノーベル医学・生理学賞が、ウィリアム・キャンベル、大村智、屠呦呦の三氏に与えられることになった [1] 。このうち、中国からの受賞者である屠呦呦氏の名前について説明しようと思う。

「屠呦呦」は、「屠」が姓で「呦呦」が名である。現代中国語の発音では、“Tú Yōuyōu”となる。これをあえて片仮名で表記すれば「トゥー・ヨウヨウ」となるだろう。

また、日本の漢字音で読むと、「ト・ユウユウ [2] 」になる。「ト・ヨウヨウ」ではないので注意されたい。

「呦呦」の意味

さて、屠呦呦氏の下の名前の「呦呦」とはどういう意味なのだろうか。 実はこれは、鹿の鳴き声を表すものである。

中国最古の詩集である『詩経』には「鹿鳴ろくめい」という詩 [3] がある。そこに「呦呦ゆうゆう鹿鳴ろくめい」という言葉がある。これはと「ユーユーと鹿が鳴く」という意味だ。この詩の「呦呦」が屠氏の名前の由来なのであろう。

中国語版BBCのウェブサイトに掲載されたニュースでも、ネット上の資料によるものとことわりながらも、屠呦呦氏の名前は氏の父親が『詩経』の「呦呦鹿鳴」に基づいて名付けたものであると書かれている [4]

ヨモギの縁

屠呦呦氏がノーベル医学・生理学賞を受賞したのは、ヨモギの一種からマラリアに効くアーテミシニンという成分を抽出したことによる。

実は先ほど触れた『詩経』の「鹿鳴」という詩には鹿がヨモギを食べるシーンが出てくる。つまり、屠氏は、自分の名の由来となった詩にそった業績でノーベル賞を受賞したことになる。

「鹿鳴」という詩には、「呦呦鹿鳴」という言葉が3回出現し、それぞれの後に鹿がヨモギを食べる内容の文言がある。

  1. 呦呦鹿鳴、食野之苹。(訳:ユーユーと鹿は鳴き、野のよもぎを食べる。)
  2. 呦呦鹿鳴、食野之蒿。(訳:ユーユーと鹿は鳴き、野のよもぎを食べる。)
  3. 呦呦鹿鳴、食野之芩。(訳:ユーユーと鹿は鳴き、野のよもぎを食べる。)

ここで「苹」・「」・「芩」はいずれもヨモギを表す [5] 。ところで、屠呦呦氏の抽出したアーテミシニンは、中国語で“青素”と言う。つまり、「青いヨモギのもと」である。屠氏の「呦呦」という名前と、アーテミシニンの「よもぎ」が、2000年以上前の中国古典の世界でつながるのである。偶然かもしれないが、なんとも興味深いことではないだろうか。

屠呦呦氏がアーテミシニンを抽出したヨモギの1種であるクソニンジン。クソニンジンの学名はArtemisia annuaで、中国名は黄花蒿である。
屠呦呦氏がアーテミシニンを抽出したヨモギの1種であるクソニンジン [6] 。クソニンジンの学名はArtemisia annuaで、中国名は黄花蒿である。

ところで、孔子の言行録である『論語』には、『詩経』を学ぶべき理由が以下のように述べられている。

子曰、小子何莫學夫詩。(中略)多識於鳥獸草木之名。

(訳:先生〔孔子〕が言われた。「弟子たちよ、なぜあの『詩経』を学ばないのか。……〔『詩経』を読めば〕鳥や獣、草や木の名前を色々知ることができる。」)

『詩経』にはさまざまな動植物について描写した詩が収録されているため、『詩経』を学べば動植物について理解することもできるというわけである。現代はもちろん『詩経』で動植物を学ぶ時代ではない。しかし、孔子が考えたことは形を変え、ノーベル賞につながる名前とヨモギの縁として今の世に息づいているのだ。

脚注
  1. Nobel Media AB 2014. (Oct 6, 2015). The Nobel Prize in Physiology or Medicine 2015 Nobelprize.org. []
  2. 歴史的仮名遣いでは「ト・イウイウ」 []
  3. 明治期の東京に建てられた「鹿鳴館」の名称の出典はこの『詩経』の「鹿鳴」という詩である。 []
  4. BBC中文网. (2015年10月5日).新闻人物:中国首位诺贝尔医学奖获得者屠呦呦. []
  5. なお、ヨモギでなく他の植物を指すという説もある。 []
  6. Wikimedia Commonsよりパブリックドメイン画像を使用。 []