はじめに
博士課程に進むべきか、あるいは進むべきでないか。こんな問いに悩んでいる人は決して少なくないだろう。また、すでに博士課程に進んでいる場合には、これから自分がどうなるのかという問いに悩まされることがあるだろう。
そこでカギとなるのが情報だ。博士課程の実情や博士課程修了後の進路の情報が重要になるのだ。もちろん、情報があるからといってすぐに問題が解決するわけではない。しかし、適切な情報は、悩みを解きほぐすのにだいぶ役に立つ。
「博士人材追跡調査」という調査があることを知っているだろうか。この調査の報告書には、博士課程に進む前に知っておきたい情報や、博士課程修了後の進路に関するに情報がたくさん掲載されている。また、博士課程修了者による自由記述回答も載っており、そこから修了者のリアルな声を知ることができるのだ。
この調査の報告書はウェブ上で公開されていて、誰でも読むことができる。もし博士課程について悩んでいるのであれば、一度読んでみることをおすすめしたい。
博士人材追跡調査とは
博士人材追跡調査は、日本の博士課程修了者(いわゆる満期退学者を含む)に対し、博士課程在籍時および修了後の状況について聞く調査だ。この調査は、文部科学省の科学技術・学術政策研究所によって、2012年以降、複数回実施されている。
2023年4月1日現在、以下の4つの報告書が出ている。
- 科学技術・学術政策研究所第1調査研究グループ.(2015). 『「博士人材追跡調査」第1次報告書-2012年度博士課程修了者コホート-』(NISTEP REPORT No.165) 文部科学省 科学技術・学術政策研究所. http://doi.org/10.15108/nr174
- 科学技術・学術政策研究所第1調査研究グループ.(2018). 『『博士人材追跡調査』第2次報告書』(NISTEP REPORT No.174) 文部科学省 科学技術・学術政策研究所. http://doi.org/10.15108/nr174
- 科学技術・学術政策研究所第1調査研究グループ.(2020). 『『博士人材追跡調査』第3次報告書』(NISTEP REPORT No.188) 文部科学省 科学技術・学術政策研究所. https://doi.org/10.15108/nr188
- 川村真理・星野利彦.(2022). 『博士人材追跡調査-第4次報告書-』(NISTEP Research Material No.317) 文部科学省 科学技術・学術政策研究所. https://doi.org/10.15108/rm317
報告書には、博士課程修了後にアカデミアに残る比率や年収の状況をまとめた情報が載っている。また、どの報告書にも、回答者、すなわち博士課程修了者からの自由記述回答のまとめが含まれている [1] 。こうした自由記述回答には、博士課程在籍時あるいは修了後にあったことが色々と書かれていて、博士課程について知りたい人にとって大変興味深いものになっている。博士課程というものの実相を知るにあたって、こうした自由記述回答は大変有用なものだ。
修了後ある程度経った段階の状況が分かる
博士人材追跡調査は「追跡」と名が付いていることからも分かるように、博士課程を修了してからある程度経った段階の状況を追跡して調査している。どういうことかというと、ある年度に博士課程を修了した人に対し、1.5年後・3.5年後・6.5年後といった感じで時期を変えて状況を調査しているのである。
だから、博士課程を修了した直後でなく、もっと先の時期の状況も把握できるようになっている。そして、修了してからの時間経過とともにどのような感じで進路が展開していくのかも分かるようになっている。例えば、2012年度の博士課程修了者の雇用形態を見ると、以下のように徐々に正社員・正職員の比率が上がっていることが分かる(第3回報告書 p.26 による)。
- 1.5年後:56.9%
- 3.5年後:64.5%
- 6.5年後:75.8%
修了後6.5年後の人というと、博士課程に通っている学生からすると7年とかあるいはもっと上の先輩のはずだ。研究室にもよるだろうが、そのぐらい離れた先輩とはなかなかつながりが持てないことが多いと思う。だから、修了後6.5年後の状況は、自分の周りだけからは見えにくい部分のはずだ。そういった部分をこの博士人材追跡調査で補うことができるのだ。
博士課程進学を検討している人向けの情報
博士人材追跡調査では、博士課程修了者が博士課程に在籍していたころの様子についても聞いている。そして、博士課程の良いところも悪いところも色々書かれている。博士課程進学について悩んでいる人には、こうした部分が役に立つだろう。
ここで得られる情報を活用すれば、より良い進路選択に結びつけることができるだろう。例えば、「指導教授が指導をせず、博士論文の審査会にも出てこないような大学院もあります」(第2回報告書 p.89)という記述がある。これを読めば、「ちゃんと指導しない教員」という問題点に気づくことができる。もちろん、この記述からは、自分が行きたいと思っている研究室の教員がちゃんと指導するのかそうでないのかは分からない。だが、この問題点を知っていれば、この観点で進学先をあらかじめ検討しておくことはできる。例えば、行きたいと思っているところの先輩に、実際の指導状況を聞いてみるということも可能だ。もしこれを知らずに、きっとちゃんと指導してくれるにちがいないと思って進学して、指導をちゃんとしてもらえなかったらきっと後悔するだろう。だから、後悔しないためにもあらかじめ情報を仕入れておくことが重要なのだ。
博士課程で今悩んでいる人
博士人材追跡調査は、博士課程修了者に対しての調査なので、博士課程を終えたあとの進路の話も出ている。というよりも、むしろそちらの話の方がメインだ。
具体的に言うと、以下のような情報が載っている。
- 修了後にどんなところで働いているのか
- どれぐらいの所得があるのか
- 博士課程に在籍して得られたことで、現在の仕事などで役立っていること
例えば、2018年の博士課程修了者は、修了後1.5年後の段階で、大学等に雇用されているのが51.7%、民間企業に雇用されているものが27.2%であることが分かる(第4回報告書 p.34)。
なお、こうした統計を読むときは、分野ごとの違いに気を付けておく必要がある。例えば、所得なんかは、分野ごとに傾向がかなり違う。人文系修了者は所得が全体的に低めであり、それ以外の分野とは全然違うので注意が必要だ。
また、自由記述からも色々と分かる。例えば、アカデミア以外を進路とする場合に参考になりそうな記述として以下のようなものがある。
- 「就職先を大学等・公的研究機関に限らなければ、いい待遇でそれなりの研究が自由にできるポジションは民間企業にある。各種メーカーの研究職であれば報酬も福利厚生も充実し、会社の資金で学会参加も研究もできます。」(第3次報告書 p.83)
- 「民間企業によっては博士を博士として待遇していないところもあり」(第2回報告書 p.90)
- 「高校の教員で博士号を持っているが、奨励研究以外の科研費申請資格がなく残念。」(第1次報告書 p.62)
こうした博士課程修了者のリアルを感じさせる記述から、アカデミア以外で就職する際のメリット・デメリットが分かるはずだ。もちろん、アカデミアでの就職についての自由記述もあるので、アカデミアを追求する人にとっても有用な情報を見つけることができるだろう。
おわりに
というわけで、この調査の報告書は、博士課程とその修了後の情報がぎゅっとつまったものになっている。博士課程に行く際に自分が今後どうなるかを考えるにあたっての有用な情報の宝庫と言っても過言ではないと私は思う。
だから、博士課程進学を検討している人、あるいは博士課程に今在籍していた悩んでいる人はぜひこの報告書を読んでみると良い。もちろん分野により、研究内容により、はたまた自分の周りの状況により、この報告書の内容からかけはなれている場合もあるだろう。しかし、世の博士課程がどのような感じか知っておけば、それが一つの道しるべとなるだろう。
- 第1次報告書ではいくつかのテーマに分けて、複数の箇所に自由記述回答が記されている。第2次報告書から第4次報告書では、自由記述回答が報告書の後ろの方にまとめて記されている。 [↩]