2018年のフランスのバカロレアの哲学の問題

概要
2018年6月18日にフランスで行われたバカロレア(大学入学資格試験)の哲学の試験でどういう問題が出題されたかを紹介。

バカロレアと哲学

この記事では、2018年のフランスのバカロレアのうち、一般バカロレアでの哲学の問題を紹介する。フランスにおけるバカロレア (baccalauréat) とは、大学入学資格を手に入れるための国家的統一試験であり、毎年6月に行われる。

バカロレアでは、哲学 (philosophie) という科目を受験することになっている。哲学の試験時間は4時間で、専攻ごとに問題は別のものになる。各専攻とも3つの問題が出され、受験者はそのうち1問に答えることになる。どの専攻でも、1問目と2問目は哲学に関する問題が短い疑問文で与えられ、受験者はそれに対して自分なりに考えた上で文章を書くことが求められる。また、どの専攻でも、3問目は哲学者などによる文章を読み、その解説を書く問題になっている。なお、2018年は6月18日に哲学の試験があった。

人文系の哲学の問題

ショーペンハウアー
ショーペンハウアー [1]

まずは、人文系 (littéraire; L) の生徒に出された2018年のバカロレアの哲学の問題を見てみよう。

  1. 文化は我々をより人間的にするのか? (La culture nous rend-elle plus humain ?)
  2. 真理を捨て去ることは可能か? (Peut-on renoncer à la vérité ?)
  3. ショーペンハウアー『意志と表象としての世界』(Le Monde comme volonté et comme représentation) からの抜粋の解説

問1のように文化 (culture) を問うた問題としては、2017年の理系の「人は自らの文化から自由になることができるのか?」 (Peut-on se libérer de sa culture ?) というものがある。

問2は真理 (vérité) に関する問題。ここで、vérité は「真理」と訳したが、「真実」や「事実」と捉えても良いかもしれない。バカロレアの哲学の問題において、真理に関する問題はそこそこ出ている。例えば、2015年 の理系では、「政治は真理の命じるところから逃れられないのか?」 (La politique échappe-t-elle à une exigence de vérité ?) という問題が出されている。また、今年の問題と構文が似ているものとして、2004年の経済社会系で「すべての真理は証明可能なのか?」(Toute vérité est-elle démontrable ?) という問題が出されている。また、今年の経済社会系でも真理に関する問題がある。

問3はアルトゥル・ショーペンハウアーの主著である『意志と表象としての世界』から抜粋された200語強の文章を読んで、その解説を書く課題である。抜粋部分では願いと恐れについて論じられている。出題された文章は長いので訳出しない。読みたい人は、Philosophie magazine での2018年人文系バカロレア哲学の問題のページを参照のこと。なお、2008年の理系と2009年の人文系でも『意志と表象としての世界』からの出題があった。

ショーペンハウアーは、19世紀ドイツの哲学者。『意志と表象としての世界』の日本語訳は、中公クラシックスより『意志と表象としての世界 1』―『意志と表象としての世界 3』が出ている。

経済社会系の哲学の問題

デュルケム
デュルケム [2]

次に経済社会系 (économique et social; ES) の生徒に対する2018年のバカロレアの哲学の問題を見てみよう。

  1. すべての真理は決定的なのか? (Toute vérité est-elle définitive ?)
  2. 芸術に無関心であることは可能か? (Peut-on être insensible à l’art ?)
  3. デュルケム『宗教生活の原初形態』 (Les Formes élémentaires de la vie religieuse) からの抜粋の解説

問1は真理 (vérité) に関する問題。先に触れたように、今年は人文系でも真理に関する問題が出ている。

問2は芸術 (art) に関する問題。芸術もまたよく出てくる話題である。例えば、2017年の経済社会系では「芸術作品は必然的に美しいのか?」 (Une œuvre d’art est-elle nécessairement belle ?) という問題が出されているし、2015年の経済社会系では「芸術家は分かるものを生み出すのか?」(L’artiste donne-t-il quelque chose à comprendre ?) という問題が出されている。

問3はエミール・デュルケムの『宗教生活の原初形態』から抜粋された200語強の文章を読んで、その解説を書く課題である。抜粋部分では道徳的権威について論じられている。出題された文章は長いので訳出しない。読みたい人は、Philosophie magazine での2018年経済社会系バカロレア哲学の問題のページを参照のこと。

デュルケムは19世紀から20世紀にかけて活躍したフランスの社会学者。なお、2010年の経済社会系でデュルケムの『道徳教育論』からの出題があった。今年出題された『宗教生活の原初形態』については、岩波文庫から『宗教生活の原初形態(上)』・『宗教生活の原初形態(下)』が、ちくま学芸文庫から『宗教生活の基本形態(上)』・『宗教生活の基本形態(下)』が出ている。

理系の哲学の問題

ミル
ミル [3]

今度は、理系 (scientifique; S) の生徒に対する2018年のバカロレアの哲学の問題を見てみよう。

  1. 欲望は我々が不完全であることの証拠なのか? (Le désir est-il la marque de notre imperfection ?)
  2. 不公正を経験することは、公正であるものを知るのに不可欠であるか? (Éprouver l’injustice, est-ce nécessaire pour savoir ce qui est juste ?)
  3. ミル『論理学体系』 (Système de logique) からの抜粋の解説

問1の欲望 (désir) に関しては、2016年の人文系で「欲望は本質的に限りがないのか?」 (Le désir est-il par nature illimité ?) という問題が出されている。

問2で公正と訳した juste は、日本語では「正義」・「正当」と解すことも可能であろう。この juste を使ったものとして、2017年の人文系で「自分にする権利があることはすべて正当なのか?」 (Tout ce que j’ai le droit de faire est-il juste ?) という問題がある。また、2005年の人文系で「正義と不正義はしきたりにすぎないのか?」(Le juste et l’injuste ne sont-ils que des conventions ?) という問題も出されている。

問3は、ミルの『論理学体系』から抜粋された270語程度の文章を読んで、その解説を書く課題である。抜粋部分では、法則とそれに基づく予測について、社会の現象と天文学上の現象とを比較しながら論じられている。出題された文章は長いので訳出しない。読みたい人は、Philosophie magazine での2018年理系バカロレア哲学の問題のページを参照のこと。

ミルは19世紀イギリスの哲学者。政治哲学の研究で名高い。なお、少なくとも2007年から2017年の間、人文系・経済社会系・理系のバカロレアでミルの文章が出たことはない。

脚注
  1. Wikimedia Commons のパブリックドメイン画像を利用。 []
  2. Wikimedia Commons のパブリックドメイン画像を利用。 []
  3. Wikimedia Commons のパブリックドメイン画像を利用。 []