2016年のフランスのバカロレアの哲学の問題

概要
2016年6月15日にフランスで行われたバカロレア(大学入学資格試験)の哲学の試験でどういう問題が出題されたかを紹介。

バカロレアと哲学

この記事では、6月15日に実施された2016年のフランスのバカロレアでの哲学の問題を紹介する。フランスにおけるバカロレア (baccalauréat) とは、大学入学資格を手に入れるための国家的統一試験であり、毎年6月に行われる。

バカロレアでは、哲学 (philosophie) という科目を受験しなくてはならないことになっている。哲学の試験は4時間かけて行われ、専攻ごとに異なる問題が出される。各専攻とも3つの問題が出され、受験者はそのうち1問に答える。どの専攻でも、1問目と2問目は哲学に関する問題が短い疑問文で与えられ、受験者はそれに対して自分なりに考えた上で文章を書くことが求められる。また、どの専攻でも、3問目は哲学者が書いた文章を読んで、その解説を書く問題になっている。

人文系の哲学の問題

まずは、人文系 (littéraire; L) の生徒に出された2016年のバカロレアの哲学の問題を見てみよう。

  1. 我々の道徳的信念は経験に立脚しているのか? (Nos convictions morales sont-elles fondées sur l’expérience ?)
  2. 欲望は本質的に限りがないのか? (Le désir est-il par nature illimité ?)
  3. ハンナ・アーレント『真理と政治』(« Vérité et politique ») の抜粋の解説

問1の道徳 (morale) に関しては、2015年の人文系でも「すべての生ける存在を尊重することは道徳上の義務なのか?」 (Respecter tout être vivant, est-ce un devoir moral ?) という問題が出されている。また、2013年の理系で「政治に関心を持たずに道徳的にふるまうことはできるか?」 (Peut-on agir moralement sans s’intéresser à la politique ?) という問題も出されている。

問2の欲望 (désir) に関しては、2012年の経済社会系で「自然な欲望は存在しうるのか?」(Peut-il exister des désirs naturels ?) という問題が出されている。また、2008年の経済社会系で「苦しみなしに欲することは可能か?」(Peut-on désirer sans souffrir ?) という問題も出されている。

問3はハンナ・アーレントが書いた『真理と政治』から抜粋された300語弱の文章を読んで、その解説を書く課題である。抜粋部分では歴史における事実と解釈の問題について論じられている。出題された文章は長いので訳出しない。読みたい人は、Philosophie magazine での2016年人文系バカロレア哲学の問3の解説を参照のこと。なお、『真理と政治』の日本語訳としては、みすず書房が出した『過去と未来の間――政治思想への8試論』に載っているものがある。

アーレントはドイツ出身の哲学者で、ナチスの迫害により米国に逃れた。『革命について』、『全体主義の起源』などの政治哲学に関する著作がある。なお、2014年の経済社会系の哲学で、アーレントが書いた『人間の条件』の抜粋が出題されている。

経済社会系の哲学の問題

次に経済社会系 (économique et social; ES) の生徒に対する2016年のバカロレアの哲学の問題を見てみよう。

  1. 我々は常に自身が欲するものを知っているのか? (Savons-nous toujours ce que nous désirons ?)
  2. 歴史を学ぶことが我々にとって利益があるのはなぜか?(Pourquoi avons-nous intérêt à étudier l’histoire ?)
  3. ルネ・デカルト『哲学原理』(« Principes de la philosophie ») の抜粋の解説
ルネ・デカルト
ルネ・デカルト

問1は、人文系の問2と同様に、欲望に関する話が入っている。

問2は、歴史 (histoire) に関する問題。歴史に関する問題は、過去の出題はそれほど多くはない印象がある。ここ10年で言えば、2010年の経済社会系で「歴史家の役割は裁くことなのか?」 (Le rôle de l'historien est-il de juger ? ) と、2009年の人文系で「歴史の客観性というものは歴史家の公平性を仮定しているのか?」(L'objectivité de l'histoire suppose-t-elle l'impartialité de l'historien ?) というのがある程度だ。また、この問題のように「なぜ」(pourquoi) と問いかける形式の問題は比較的珍しい。

問3はルネ・デカルトの『哲学原理』から抜粋された150語強の文章を読んで、その解説を書く課題である。抜粋部分では「誤り」(erreur) の問題について論じられている。出題された文章は長いので訳出しない。読みたい人は、Philosophie magazine での2016年経済社会系バカロレア哲学の問3の解説を参照のこと。なお、岩波文庫で『哲学原理』の和訳が出ている

デカルトはフランスの哲学者で、近代哲学の祖とも称される。デカルトの文章としては、2013年の人文系で『エリザベートへの手紙』が、2014年の理系で『精神指導の規則』が出されている。

理系の哲学の問題

最後に理系 (scientifique; S) の生徒に対する2016年のバカロレアの哲学の問題を見てみよう。

  1. より少なく働くことはより良く生きることなのか? (Travailler moins, est-ce vivre mieux ?)
  2. 知るためには証明しなくてはならないのか? (Faut-il démontrer pour savoir ?)
  3. マキアベリ『君主論』(« Le Prince ») の抜粋の解説
ニコロ・マキアベリ
ニコロ・マキアベリ

問1のように労働 (travail) を問う問題はバカロレアの哲学ではよく出てくる。例えば、2013年の理系で「労働は自意識を持つことを容認するのか?」 (Le travail permet-il de prendre conscience de soi ?) という問題が出されている。この他、2012年の理系で「働くということは単に有用ということだけなのか?」 (Travailler, est-ce seulement être utile ?) という問題が出されたり、2012年の人文系で「働くことで何が得られるか?」 (Que gagne-t-on en travaillant ?) という問題が出されたりしている。

問2のように証明 (démonstration) という話が出てくる問題としては、2006年の理系で出た「経験は何かを証明できるのか」 (L'expérience peut-elle démontrer quelque chose ?) というものがある。また、2004年の経済社会系では「すべての真理は証明可能なのか?」(Toute vérité est-elle démontrable ?) という問題が出された。

問3はイタリアの政治思想家のニコロ・マキアベリが書いた『君主論』から抜粋された300語弱の文章を読んで、その解説を書く課題である。抜粋部分では「僥倖」(fortune) の問題について論じられている [1] 。出題された文章は長いので訳出しない。読みたい人は、Philosophie magazine での2016年理系バカロレア哲学の問3の解説を参照のこと。

マキアベリは少なくともここ10年は出題されていない。かなり珍しいところから出題されたと思う。なお、『君主論』の和訳は、講談社学術文庫『君主論』(佐々木毅訳)など、色々なものが出ている。

脚注
  1. この文、2016年7月8日に記述を修正。 []