2015年のフランスのバカロレアの哲学の問題

概要
2015年6月17日にフランスで行われたバカロレア(大学入学資格試験)の哲学の試験でどういう問題が出題されたかを紹介。

バカロレアと哲学

この記事では、6月17日に実施された2015年のフランスのバカロレアでの哲学の問題を紹介する。フランスにおけるバカロレア (baccalauréat) とは、大学入学資格を手に入れるための国家的統一試験であり、毎年6月に行われる。

バカロレアでは、哲学 (philosophie) という科目を受験しなくてはならないことになっている。哲学の試験は4時間かけて行われ、専攻ごとに異なる問題が出される。各専攻とも出題は3問である。1問目と2問目は短い疑問文の形で与えられた哲学的な問題に対して自分なりに考えて文章を書く問題である。3問目は哲学者が書いた文章を読んで、その解説を書く問題である。すべてに答える必要はなく、1問を選んで答えれば良い。

人文系の哲学の問題

まずは人文系 (littéraire; L) の生徒に対する2015年のバカロレアの哲学の問題を見てみよう。

  1. すべての生ける存在を尊重することは道徳上の義務なのか? (Respecter tout être vivant, est-ce un devoir moral ?)
  2. 私は私の過去が形作ってきたものなのか? (Suis-je ce que mon passé a fait de moi ?)
  3. アレクシ・ド・トクヴィル『アメリカの民主政治』(« De la démocratie en Amérique ») の抜粋の解説

問1に出てくる道徳義務に関する問題は過去に出されたことがある。例えば、2013年の理系では「政治に関心を持たずに道徳的にふるまうことはできるか?」 (Peut-on agir moralement sans s’intéresser à la politique ?) という問題が出されているし、2013年の経済社会系では「我々は国家に対していかなる義務を負うか?」 (Que devons-nous à l’Etat ?) という問題が出ている。

アレクシ・ド・トクヴィル
アレクシ・ド・トクヴィル

問2は自己に関する問題である。自己とは何かというのは古代ギリシャ以来哲学の中心的なテーマの1つであり、哲学の試験でこのような問題が出題されるのは道理にかなっていると言えよう。過去のバカロレアでも、2014年の経済社会系で「なぜ自分自身のことを知ろうと努めるのか?」 (Pourquoi chercher à se connaître soi-même ?) という問題が出されるなど、自己に関する問題が出題されたことがある。

問3は、アレクシ・ド・トクヴィルの『アメリカの民主政治』から抜粋された250語弱の文章を読んで、その解説を書く課題である。『アメリカの民主政治』は19世紀前半にフランス人であるトクヴィルが新興民主国家であるアメリカ合衆国を観察し、その民主制の特徴について論じた著作であり、近代民主主義思想に関する古典的名著である。『アメリカの民主政治』は、かつて2009年の理系バカロレア哲学でも出題されたことがある。今回の試験で抜粋された部分はドグマ的信念 (croyances dogmatiques) と社会の関係について論じた部分である。抜粋された部分は長いので訳出しなかった。出題された文章を読みたい人は、Philosophie magazine での2015年人文系バカロレア哲学の問3の解説を参照のこと。なお、『アメリカの民主政治』は岩波文庫から、『アメリカのデモクラシー』というタイトルで日本語訳が出ている。

経済社会系の哲学の問題

次に経済社会系 (économique et social; ES) の生徒に対する2015年のバカロレアの哲学の問題を見てみよう。

  1. 個人の意識は、その属する社会の反映でしかないのか? (La conscience de l’individu n’est-elle que le reflet de la société à laquelle il appartient ?)
  2. 芸術家は分かるものを生み出すのか? (L’artiste donne-t-il quelque chose à comprendre ?)
  3. ベネディクトゥス・デ・スピノザ『神学・政治論』(« Traité théologico-politique »)の抜粋の解説

問1で「意識」と訳した conscience は「良心」と訳すこともできる。「意識」として議論していくか、「良心」として議論していくかについて、 conscience を自分でしっかりと定義して決めていく必要があるだろう。

ベネディクトゥス・デ・スピノザ
ベネディクトゥス・デ・スピノザ

問2は芸術に関する問題である。バカロレアの哲学の問題において、芸術に関する問題は頻出である。例えば、2014年には人文系で「芸術作品は我々の知覚を鍛えるのか?」 (Les œuvres d’art éduquent-elles notre perception ?) という問題が、理系で「芸術家はその作品の主人なのか?」 (L’artiste est-il maître de son œuvre ?) という問題が出されている。

問3は、17世紀オランダの哲学者であるスピノザの書いた『神学・政治論』から抜粋された200語強の文章を読んで、その解説を書くことが求められている。『神学・政治論』はかつて2012年の人文系バカロレア哲学で出題されたことがある。今回の試験で抜粋された部分は、民主国家における不条理な命令について論じている。抜粋された部分は長いので訳出しなかった。出題された文章を読みたい人は、Philosophie magazine での2015年経済社会系バカロレア哲学の問3の解説を参照のこと。なお、『神学・政治論』は光文社から『神学・政治論(上)』と『神学・政治論(下)』の2巻にわたって和訳が出されている。

理系の哲学の問題

今度は理系 (scientifique; S) の生徒に対する2015年のバカロレアの哲学の問題を見てみよう。

  1. 芸術作品は常に意味を持つのか? (Une œuvre d’art a-t-elle toujours un sens ?
  2. 政治は真理の命じるところから逃れられないのか? (La politique échappe-t-elle à une exigence de vérité ?)
  3. キケロ『予言について』(« De la divination » ) の抜粋の解説
キケロ
キケロ

問1は芸術に関する問題である。先に社会・経済系の哲学の問題の解説に見たように、芸術の話題は頻出する。

また、問2は政治に関する問題である。政治に関する問題は過去にも出題されたことがあるが、頻出するというほどではない。2005年の経済社会系では「政治的行動は歴史認識に導かれるべきなのか?」 (L’action politique doit-elle être guidée par la connaissance de l’histoire ?) という問題が出されている。

問3は、キケロの『予言について』から抜粋された300語弱の文章を読んで、その解説を書く課題である。キケロは紀元前1世紀のローマの哲学者である。この問題で抜粋された部分は、予測と必然・偶然について扱っている。なお、この問題に関しても、抜粋された部分は長いので訳出しなかった。出題された文章を読みたい人は、Philosophie magazine での2015年理系バカロレア哲学の問3の解説を参照のこと。