確率を飼いならす——百枚のコインをすべて表にするための奇策

概要
宋の狄青という武将がコインを百枚投げたところ、すべて表が出た。しかし、そのことには「裏」があって……。

確率とコイン投げ

コイン投げ
コイン投げ [1]

数学の授業で確率を学ぶときによく使われる題材がコイン投げだ。コインを2枚投げて両方とも表が出る確率はいくつか——こんな問題を解いたことがある人は多いだろう。

ところで、コインを百枚投げて、すべて表が出る確率はどれぐらいだろうか。理論的には、2100回に1回、すなわち約127じょう回に1回である。なお、一穣は一兆の一兆倍の一万倍である。

百枚すべてが表になるということはとても起こりそうにない。しかし、中国では奇策を用いて百枚すべてが表にした人がいた。以下に示す狄青である。

狄青の奇策

ここに紹介するのは、『鉄囲山叢談』という本に書かれている逸話である。この本は、12世紀の中国で書かれたもので、その著者はの蔡絛という人である。

宋に狄青という武将がいた。この人があるとき、朝廷の命を受けて儂智高という反逆者を討つことになった。

戦う前、狄青は勝てるということを示すために、銭(=コイン)を百枚取りだした。大勝利となるのであれば、この百枚を投げてもすべて表が出るはずだと神に向かって言ったのである。百枚投げて百枚とも表になるということはとてもありえそうにないが、そういったありえないことが起きれば討伐がうまくいくということを示したかったのだろう。しかし、側近はこの賭けに反対した。思うとおりにならなければ、士気を下げてしまうからだ。

狄青は側近の反対に耳を傾けることなく、銭を投げた。すると、なんと百枚とも表が出た。これには全軍が大喜び。狄青は表が出た銭を封じて、戦いに勝った後、この銭を回収しようと言った。

その後、狄青は無事に反乱を平定した。帰還途中で、例の百枚の銭を回収してみたところ、なんと銭はすべて両方とも表だったのだ。

以下の画像に示すように中国銭は基本的に表に銭の名前を表す四文字が書いてある。裏には何も字が書いていない。

宋代の銭の1つ「元豊通宝」。左側に示されているのが表で、「元豊通宝」の四文字が書かれている。右側は裏。
宋代の銭の1つ「元豊通宝」 [2] 。左側に示されているのが表で、「元豊通宝」の四文字が書かれている。右側は裏。

この狄青の故事の銭は両面とも銭の名前を表す四文字が書いてあったのだろう。

付:知不足齋叢書所収の『鉄囲山叢談』より

漢文

南俗尙鬼。狄武襄靑征儂智高時。大兵始出桂林之南。道旁偶一大廟。人謂其廟甚神靈。武襄遽爲駐節而禱之焉。因祝曰。勝負無以爲據。乃取百錢自持之。且與神約。果大捷。則投此。期盡錢面也。左右或諫止。一儻不如意。恐沮師。武襄不聽。萬眾方聳視。已揮手倏一擲。則百錢盡面矣。於是舉軍歡呼。聲震林野。武襄亦大喜。顧左右取百釘來。卽隨錢疏密布地而釘帖之。加諸靑紗籠覆。手自封焉。曰茍凱歸。當償謝神。始贖取錢。其後破崑崙關。敗智高平邕管。及師還。如言贖取錢。與羣幕府士大夫共視之。乃兩字錢也。詔封廟曰靈順。吾道過時。夢甚異。又得是事於其父老云。

書き下し文

南俗鬼をたっとぶ。狄武襄青の儂智高を征する時、大兵始めて桂林の南に出づ。道旁に一大廟にふ。人其の廟甚だ神霊なりと謂ふ。武襄にはかに駐節を為して之にいのる。因りていはひて曰く「勝負以て拠を為すこと無し」と。乃ち百銭を取りて自ら之を持し、まさに神と約せんとす。「果して大捷すらば、則ち此を投じて尽く銭おもてなるを期せん」と。左右あるいは諫止して「ひとたびし意の如くならずんば、恐らくは師をはばまん」と。武襄聴かず。万衆まさ聳視しょうしするに、すでにして手を揮ひてたちまち一擲すれば、百銭尽く面なり。是に於て軍を挙げて歓呼し、声林野をふるはす。武襄も亦大に喜び、左右をかえりみて百釘を取り来たらしめ、即ち銭の疏密に随ひて地にき之を釘帖し、これに青紗を加へておほ手自てずかこれを封ず。曰く「いやしくも凱帰すらば、当に神に償ひて謝し、始めて銭をあがなひて取るべし」と。其後崑崙関を破り、智高を敗り邕管を平ぐ。師を還すに及びて、言の如く銭を贖ひて取る。もろもろの幕府の士大夫と共に之を視るに、乃ち両字の銭なり。詔して廟を封じて霊順と曰ふ。吾れ道過する時夢甚だ異し。又是の事を其父老に得たりと云ふ。

大意

南方には鬼神を尊ぶ習俗がある。狄青が儂智高の反乱を征伐した際、大軍がようやく桂林の南に出た。このとき、道のかたわらに、大きな廟があった。この廟はとても神秘的であると言われていた。狄青はすぐに軍を止めて、この廟の神に祈った。そして、「勝敗はその根拠となるものがない」と言い、百枚のぜにを取り出し、自らこれを持って「もし大勝利するのであれば、これらの銭を投げてきっとすべて表が出るであろう」と神に誓おうとした。側近のものが「もしお考えのとおりにならなければ、軍勢を阻むことになってしまうでしょう」と言って諫めた。狄青は側近の意見を聞かなかった。多くの兵士が恐れおののきながら見ていると、狄青が手を動かし、パッと銭を投げると、百枚とも表であった。全軍が歓呼し、その声は林野を揺り動かすほどであった。狄青もたいそう喜んで、側近のものの方にふりむいて、釘を百本持ってこさせた。そして、銭を釘でとめ、青いうすぎぬをかけて覆い、狄青自ら封じ込めた。「もし戦いに勝って変えて来られたら、神の恩義に報いて感謝し、代わりに銭を取ろうではないか」と狄青は言った。その後、崑崙関を破り、儂智高を敗退させ、儂智高がおさえていた邕管(今の広西チワン族自治区南寧市あたり)を平定した。軍勢を率いて帰還した際に、自ら言ったとおりに銭を取った。幕僚たちとともにこれを見たところ、両方とも文字が書いてある、つまり両方とも表の銭であった。皇帝の詔により、廟に霊順という名が与えられた。私がこの廟を通り過ぎた際に見た夢はとても独特なものだった。またこのことをその場所の長老に聞いたのである。

脚注
  1. Caro Asercion氏による CC-BY 3.0 の Coinflip icon の画像を使用。 []
  2. Wikimedia Commons より Gary Lee Todd 氏の CC0 画像を使用。 []