筑波大学モニュメントとは

茨城県にある国立大学の筑波大学には、筑波大学モニュメントというものがある。筑波大学側としては、「本学のアカデミックシンボルの一つとして、見る者全てに、学問に宿る崇高なる精神性と高揚感を与えるものになると期待」されるモニュメントなのだそうだ [2] 。
これは、2014年に幡谷祐一茨城県信用組合会長から寄贈されたもので、幡谷会長の作った「漢詩」が記された銘板が含まれている [3] 。これから詳しく説明することになるが、この「漢詩」は、とうてい漢詩と呼ぶことができないしろものである。一応は日本文学や中国文学の教授陣もいる大学 [4] で、このような漢詩と呼ぶことができないしろものを「漢詩」と称した上で、「アカデミックシンボルの一つ」としてしまうのはいかがなものかと思われる。
問題の「漢詩」
さて、問題の「漢詩」を具体的に見てみよう。この「漢詩」には「忘食」という題が付けられており、表面上は七言句を4つ連ねた形になっている。以下に、全文を引用する。
白面書生学筑波
発憤忘食紙筆耕
桃李満門邦家豊
紫峰名声四海奔
この「漢詩」には、以下の3つの問題点がある。
- 韻を踏んでいない
- 平仄が合っていない
- 文法が正しくない
この3つの問題点については、後で1つ1つ説明する。だが、その前に、これらの問題点について、漢詩が分からない人のために俳句でたとえて説明しておきたいと思う。この「漢詩」の問題点は、俳句で言うならば、日本語としての語順がめちゃくちゃで、季語がなく、五七五も守っていないようなものだ。もし、以下のものを俳句だと主張する人がいたら、どう思うだろうか。
筑波すごい
一つ星クラス
学ぶを優秀
この語順がめちゃくちゃで、季語がなく、五七五も守っていないものを「俳句」と称して、モニュメントにする大学があったら、世間はどう思うだろうか。
韻を踏んでいないという問題
一般的に、漢詩では韻を踏むことが必要になる。端的に言えば、末尾の音を同じにしなくてはならないということだ。
例えば、唐代の李商隠という詩人が作った「夜雨寄北」という詩は、「期」・「池」・「時」で韻を踏んでいる。
君問帰期未有期
巴山夜雨漲秋池
何当共剪西窓燭
却話巴山夜雨時
「期」・「池」・「時」は、現代日本語の漢字音でも、“ki”, “ti”, “zi”とすべて“-i”で終わるということが共通している [5] 。もっとも漢詩の韻を議論するときは、昔の中国語の発音によって考えなくてはならない。昔の中国語の発音で見ると、「期」・「池」・「時」はいずれも「支」の韻になっている。つまり、この「夜雨寄北」は昔の中国語の発音でしっかりと韻を踏んでいるのである。
さて、例の筑波大学の「漢詩」についてみてみよう。この詩は4つの句から成り立っていて、それぞれの句の最後の字は「波」、「耕」、「豊」、「奔」である。昔の中国語の発音で見ると、この4字の韻は以下のようになる。
- 波:歌の韻
- 耕:庚の韻
- 豊:東の韻
- 奔:元の韻
どれも違う韻だ。つまり、この4字はどの組み合わせを見ても、韻を踏めていない。
韻を踏めていないというのは、漢詩としてかなり問題があると言わざるを得ない。
平仄が合っていない
漢詩に関する音のルールとして、韻を踏むこと以外に、平仄を合わせることがある。問題の筑波大学の詩は、この平仄を合わせるということに無頓着のようだ。
詳しく説明すると長くなる [6] ので、ここではごく簡単に説明するにとどめておく。端的に言うと、すべての漢字はその発音により「平」か「仄」に分けられる。この「平」と「仄」の組み合わせがおかしいと、詩としてのリズムがおかしくなる。
例えば、七言句ならば「平平仄仄平平仄」といったものはリズムとしておかしくない。しかし、「平仄平仄平仄仄」といったものはリズムがおかしくなる。漢詩の中でも近体詩と呼ばれるものはこの平仄に関するルールが厳しく、そうでないものはわりとゆるい。
ただ、くだんの筑波大学のモニュメントの詩はあまりにもゆるすぎる。例えば、第二句は「仄仄仄仄仄仄平」になっている。いくら何でも、これはあんまりだ。
文法がおかしい
文法の問題については、1点だけ挙げておく。筑波大学モニュメントの解説によれば、第三句の後半の「邦家豊」に対して、「ほうかゆたかにす」というルビが振られ、「日本のために活躍している」という訳が付けられている。ルビや訳からすると、「豊」は動詞であり、「邦家」はその目的語であるはずだ。しかし、古典中国語の語順では、普通、動詞の後に目的語が来る。目的語が動詞の前に来てしまっている「邦家豊」は変である [7] 。
まとめ
漢字を好きなように並べて詩的表現とすることは、当人の自由である。ただ、それを「漢詩」と呼ぶのはいかがなものかと思われる [8] 。
ましてや、人文系をも包含する大学の「アカデミックシンボルの一つ」とするには、この「漢詩」は稚拙すぎる。一般的な漢詩からかなり外れているということが分かっていてあえて出しているのならば良いが、そうでなかったらかなり恥ずかしいことになる。
せっかく寄贈されたものをどうにかするのは心苦しいかと思うが、筑波大学の担当者の方は、早めにこのモニュメントを修正するか、あえて一般的な漢詩からかなり外れたものを出している旨を掲出した方が良いと思われる。
- Wikimedia 日本語版よりKanrika氏のCC BY 3.0画像を利用。 [↩]
- 筑波大学生命環境科学研究科.(n.d.). 「アカデミックシンボル・筑波大学モニュメントのご紹介」http://www.life.tsukuba.ac.jp/event/monument.html [↩]
- なお、この問題の筑波大学の「漢詩」を作った人物はあちこちに自作の「漢詩」を配っているようで、ネット上で見つかったもので言うと、筑波大学硬式野球部に送ったもの、茨城空港の開港記念碑などの事例が見つかった。正直言って、筑波大学モニュメントのがまだマシに見えるほどの出来である。 [↩]
- モニュメントにたずさわったのは、生命環境科学研究科であって、人文系の学科ではないが。 [↩]
- 第三句の「燭」は韻を踏んでいないが、ここは逆に韻を踏んではならない場所なので、問題ない。 [↩]
- 2017年2月4日追記:この辺りの平仄のルールをもっと詳しく知りたい人は、Wikipedia日本語版の「近体詩」のページを参考のこと。三省堂の漢和辞典『全訳漢辞海』の巻末付録にも詳しい説明がある。 [↩]
- 「豊」を形容詞と見て、「邦家」がその主語だと考えれば、語順としてはおかしくないが、そうするとルビや訳が合わなくなってしまう。 [↩]
- 土浦一高の同窓会誌に、この「漢詩」を作った幡谷氏の記事があり、「古稀から始めたという『平成自由詩』(漢詩の約束から離れた詩)」という記述があった。離れるのは結構だが、それならばそれを「漢詩」と誤認させるようなことは避けるべきだと思う。 [↩]