「無洗米」の意味解釈の難しさ

概要
「無洗米」は「洗う必要がない米」という意味であるが、「事前に洗われて無い米」という意味で解釈する人がいる。このような誤解が生じるのは、「無洗米」の構造と意味が特殊なものであるせいかもしれない。

「無洗米」は「事前に洗われて無い米」?

無洗米」のことを「事前に洗われて無い米」と捉えている人をたまたま見つけた。

無洗米って事前に洗われて無い米だと思っててコメント欄の流れが意味わからなかった。

はてな匿名ダイアリー.(2020年6月17日).「米って洗う必要ある?」 https://anond.hatelabo.jp/20200617211134

もちろん「無洗米」の意味は「洗う必要がない米」である。だから、「事前に洗われていない米」と解釈すると話が通じなくなる。

米。洗われているか洗われていないか。
米。洗われているか洗われていないか [1]

「事前に洗われていない米」のように解釈している人は他にもいる。例えば、歌人の俵万智氏は自分の息子が「無洗米」を「洗ってない米」と捉えた話を挙げている。

「無洗米って、洗ってない米のこと?」と息子。「いやいや逆だってば。洗ってあるから研がなくていいの」「だったら、既洗米じゃね?」……だね。

俵万智.[@tawara_machi] (2015年10月9日). https://twitter.com/tawara_machi/status/652445027415621632

他にも、ネット上を検索するとこういった話がいくつか出てくる。

「無洗米」の解釈の難しさ

「事前に洗われていない米」と解釈するのは誤解である。しかし、事前知識がないかぎり、「無洗米」という字面を見て「洗う必要がない米」と解釈するのは難しい気がする。それはおそらく、「無洗米」と似たような構造をしている語が少ないうえ、「洗う必要がない米」と似たような意味解釈になる例が少ないからだ。

「無洗米」は、「無 + AB」でなく、「[無 + X] + Y」

そもそも日本語の無から始まる三字熟語は「無 + AB」という構造で、AB が無いという意味になることが多い(ABは1つの二字熟語)。「無収入」(収入が無い)、「無関係」(関係が無い)、「無余地」(余地が無い)など、いくらでも例は出てくる。

これに対して、「無洗米」は「[無 + X] + Y」という構造になっている(XもYも漢字一字)。この「[無 + X] + Y」では、「Xが無い」という部分が Y を修飾している。「Xが無いという性質を持つY」と解釈できるだろう。

ただ、日本語の無から始まる三字熟語で、「[無 + X] + Y」の構造になるものはそんなにないように思われる。「無 + AB」に比べると少数であるはずだ。

「[無 + X] + Y」の意味解釈

さて、「[無 + X] + Y」の構造になる三字熟語の事例をいくつか挙げよう。

ここで着目したいのが、上に挙げた「[無 + X] + Y」の構造の三字熟語で、Xはすでに無いものとして解釈されることが基本であるということである。例えば、「無韻詩」は無韻詩という存在が認識された時点でその詩の中に韻は無い。将来韻が発生することが無いということではない。また、「無人島」は無人島という存在が認識された時点で、その島に人はいない。将来その島に人が出現することが無いということではない。

「[無 + X] + Y」の X で、「将来において X が発生することが無い」という解釈になる例は限られている。ぱっと思いついたところだと、

といったものがある。ただ、どちらも日常ではあまり見ない言葉である。

おわりに

無から始まる三字熟語で、「無洗米」と同じ構造になるものは少ない。そして、「無洗米」と同じ「[無 + X] + Y」という構造で「無洗米」と似た解釈になるものはさらに少ない。おそらく、そんなところから「無洗米」の意味解釈が難しくなっているのではないか。もちろん、決定的な証拠があるというわけではないが。

補:中国語での言い方

中国語では無洗米のことを “免淘米” (miǎntáomǐ) と言ったり “免洗米” (miǎnxǐmǐ) と言ったりする。“免淘米”は文字通り、「ぐことをまぬかれた米」ということで、とぐ必要がない米ということになる [2] 。“免洗米”も同様に「あらうことをまぬかれた米」ということになる。中国語の言い方の方が、漢語の語構成としては分かりやすいものになっている。

なお、このほか、“清洁米” (qīngjiémǐ) という言い方もある。これは、清潔な米ということである [3]

脚注
  1. Pixabay より allybally4b 氏のパブリックドメイン画像を使用。 []
  2. 2020年10月1日追記:淘という漢字は、粒状のものをすすいで不純物を取り除くということを意味する。日本語でも、かつて無洗米のことを「不淘洗米」とよんでいたこと呼んでいたことがある。例えば、1991年に出された論文で「不淘洗米の食味について」(池田ひろ、『京都女子大学食物学会誌』第46号)というものがある。 []
  3. 本節は2020年9月27日に追記したものである。 []