「プーと大人になった僕」の構造的曖昧性

概要
「プーと大人になった僕」というフレーズは、構造的曖昧性のために、さまざまな状況を表しうる。

「プーと大人になった僕」の解釈その1

「プーと大人になった僕」という日本語のフレーズから想像される状況の1つとして、以下のものがあるだろう。

「プーと大人になった僕」の表す状況として、「プーがいて、大人である僕がいる」というものがありうる。
「プーと大人になった僕」の表す状況として、「プーがいて、大人である僕がいる」というものがありうる。

これは要するに、「プー」と「大人になった僕」が並列されているという解釈である。しかし、「プーと大人になった僕」は構造的に曖昧であり、他の状況も表しうる。

「プーと大人になった僕」の解釈その2

このフレーズを別の構造で捉えてみよう。

「プーと大人になった僕」の表す状況として、「僕は、プーとともに大人になった」というものがありうる。
「プーと大人になった僕」の表す状況として、「僕は、プーとともに大人になった」というものがありうる。

ここでは、「プーと大人になった」が1つのかたまりとなって「僕」を修飾している。そして、「プーと」が「大人になった」を修飾して、プーと一緒に大人になったということを示す。要するに、プーと僕が一緒に成長しているような状況だ。

「プーと大人になった僕」の解釈その3

もう1つ別の構造を見てみよう。

「プーと大人になった僕」の表す状況として、「僕は、プーになり、大人にもなった」というものがありうる。
「プーと大人になった僕」の表す状況として、「僕は、プーになり、大人にもなった」というものがありうる。

解釈その2と同様に、「プーと大人になった」が1つのかたまりとなって「僕」を修飾している。しかし、「プーと大人になった」の内部構造がその2とその3で異なっている。その3では「プーと大人」がまず1つのかたまりになって、それが、「に」・「なった」と結びついている。僕が何になったのかと言えば、「プーと大人」だ。つまり、僕はプーになっただけでなく、大人にもなったのだ。

補:語義曖昧性

ここまでは、構造的曖昧性に着目して「プーと大人になった僕」が表しうる状況を考えてみた。語義曖昧性、すなわち単語そのものの意味の曖昧さも考えると、さらにさまざまな状況が想定できるようになる。例えば、「プー」を無職(プー太郎)の意味で捉えれば、また違った状況を思い描くことができる。

「プーと大人になった僕」の「プー」を無職(プー太郎)という意味で捉えた場合、構造は前に掲げたものと同じでも、違った状況を示しうる。
「プーと大人になった僕」の「プー」を無職(プー太郎)という意味で捉えた場合、構造は前に掲げたものと同じでも、違った状況を示しうる。

画像出典

この記事のイラストはすべて、いらすとやのものを使用した。