注文の多い料理店―院生編

概要
キャンパスの外れをさまよっていた院生が見つけた研究室。そこには「当研究室は貢献の多い研究室ですからどうかそこはご承知ください」という文言。この研究室は一体?

本文

二人の若い院生が、いっぱしの研究者きどりで、キャンパスの奥深くの、人気の少ないとこを、こんなことをいいながら、あるいておりました。

「ぜんたい、ここらの研究室はけしからんね。研究費もろくにもってやしない。なんでも構わないから、金の心配なしに、実験をやってみたいもんだなあ。」

「実験に使ったマウスをガスバーナーで焼いて、大学生協で買ってきた焼き肉のタレをつけて食べたら、ずいぶん痛快だろうねえ。かりかりと焼けて、それからぐいっとビールを飲めるだろうねえ。」

それはキャンパスのだいぶ奥でした。案内してきた万年助手も、ちょっとまごついて、どこかへ行ってしまったくらいの奥でした。

風がどうと吹いてきて、草はざわざわ、木の葉はかさかさ、木はごとんごとんと鳴りました。

「どうも業績が足りない。前からろくな研究もしていないんだ。」

「ぼくもそうだ。もうあんまりめんどうな実験もしたくないな。」

「したくないよ。ああ困ったなあ、何か楽に業績がかせげる研究室があればなあ。」

「あればなあ。」

二人の院生は、ざわざわ鳴るすすきの中で、こんなことを云いました。

その時ふとうしろを見ますと、ブレハブの建物がありました。

そして入口には

RESEARCHER WANTED
研究者求む
WILDCAT LABORATRY
山猫研究室

という札がでていました。

「君、ちょうどいい。ここはこれでちゃんと研究室があるんだ。入ろうじゃないか。」

「おや、こんなとこにおかしいね。しかしとにかく何か研究ができるんだろう。」

「もちろんできるさ。看板にそう書いてあるじゃないか。」

「はいろうじゃないか。ぼくはもう業績がほしくてしかたないんだ。」

二人は入口に立ちました。そしてガラスの開き戸があって、そこにこう書いてありました。

「学部生・院生・ポスドクの方、どなたもどうかお入りください。決してご遠慮はありません。」

二人はそこで、ひどくよろこんでいいました。

「こいつはどうだ、やっぱり世の中はうまくできてるねえ、最近はなんぎしたけれど、こんどはこんないいこともある。ここは研究室だけれどもただで実験させてくれるんだぜ。」

「どうもそうらしい。決してご遠慮はありませんというのはその意味だ。」

二人は戸を押して、なかへ入りました。そこはすぐ廊下になっていました。その戸の裏側には、こう書いてありました。

「ことに実験が得意なお方や熱心に研究して下さるお方は、大歓迎いたします。」

二人は大歓迎というので、もう大よろこびです。

「君、ぼくらは大歓迎にあたっているのだ。」

「ぼくらは両方兼ねてるから」

ずんずん廊下を進んで行きますと、こんどは水いろのペンキ塗りの扉がありました。

「どうも変な研究室だ。どうしてこんなにたくさん戸があるのだろう。」

「これはロシア式だ。研究の秘密をしっかりまもりたいとこはみんなこうさ。」

そして二人はその扉をあけようとしますと、上に黄いろな字でこう書いてありました。

「当研究室は貢献の多い研究室ですからどうかそこはご承知ください。」

「なかなか学術に貢献しているんだ。こんな場所で。」

「それあそうだ。見たまえ、海外の大きな研究室だって、いなかにあるだろう。」

二人はいいながら、その扉をあけました。するとその裏側に、

「貢献はずいぶん多いでしょうがどうか一々こらえて下さい。」

「これはぜんたいどういうんだ。」ひとりの院生は顔をしかめました。

「うん、これはきっと学術に関する貢献があまり多くて毎月のように英語で論文を書かないといけないけれどもごめん下さいとこういうことだ。」

「そうだろう。早くどこか部屋の中にはいりたいもんだな。」

「そして実験用のテーブルにつきたいもんだな。」

ところがどうもうるさいことは、また扉が一つありました。そしてそのわきに流し台があって、その下には長い柄のついたブラシが置いてあったのです。

扉には赤い字で、

「ここで汚れた実験器具を洗っておいてください。」

と書いてありました。

「これはどうも尤もだ。僕もさっき入口で、キャンパス外れの研究室だとおもって見くびったんだよ」

「作法の厳しい研究室だ。きっとよほどひんぱんに実験をしているんだ。」

そこで二人は、きれいに試験管を洗い、シャーレに付いたゴミをおとしました。

二人は、扉をがたんと開けて、次の部屋へ入って行きました。

扉の内側に、また変なことが書いてありました。

「先行研究などをここへまとめておいてください。」

見るとすぐ横に黒い台がありました。

「なるほど、先行研究をまとめずに実験をするという法はない。」

「いや、よほど集中して研究をさせたいんだ。」

二人は膨大な量の先行研究をまとめて台の上に置きました。

また黒い扉がありました。

「どうか当研究室が必要な実験データをおとり下さい。」

「どうだ、とるか。」

「仕方ない、とろう。たしかによっぽどえらい研究をしているんだ。この研究室は。」

二人は一生懸命に実験データをとってから扉の中にはいりました。

扉の裏側には、

「どうかもう一種類だけ実験データをおとり下さい。」

と書いてありました。扉のすぐ横には真新しい立派な実験装置も、ちゃんと置いてありました。実験装置のマニュアルまで添えてあったのです。

「ははあ、何かの研究発表に実験データをつかうと見えるね。」

「そうだろう。しかし、正直自分たちの研究テーマとは全然関係ない気がするのだが。」

「しかたない。これも院生としての仕事だからな。」

「そうだ。きっと。」

二人は新しい実験装置のトラブルと格闘しながら、なんとか実験データをでっちあげました。

すこし行きますとまた扉があって、その前にノートパソコンが一台ありました。扉にはこう書いてありました。

「このPCを使って実験データの統計解析を行って下さい。」

みるとたしかにPCの中に統計解析ソフトが入っていました。

「統計解析を行えというのはどういうんだ。」

「これはね、論文を投稿しても査読者は内容が信頼できるか分からんだろう。だけど、統計の数値を適当に挙げて有意だといえば査読者はそれをしんじるから、そのためなんだ。」

二人は実験データの解析を急ぎました。どうしても計算が合わなかったり、都合が悪かったりするデータがまだ残っていましたから、それは二人ともめいめいこっそりなかったことにしました。

それから大急ぎで扉をあけますと、その裏側には、

「統計解析はちゃんと行いましたか、p値ができるだけ小さくなるようにしましたか。」

と書いてあって、ノートパソコンがここにも置いてありました。

「そうそう、ぼくはp値が0.04になった時点で、計算をやめていた。適当な手法をつなぎ合わせて、都合の良いところだけとりだして、せめて、p値を0.01より小さくしないとな。ここの研究室はじつに用意周到だね。」

「ああ、細かいとこまでよく気がつくよ。ところでぼくは早く何か業績がほしいんだが、どうもこうどこまでも廊下じゃ仕方ないね。」

するとすぐその前に次の戸がありました。

「論文はもうすぐできます。十五分とお待たせはいたしません。すぐ投稿できます。早く今まとめた結果を英語にして下さい。」

二人はその言葉にしたがって、論文を懸命に書きはじめました。

書き終えると、二人は扉をあけて中にはいりました。

扉の裏側には、大きな字でこう書いてありました。

「いろいろ貢献が多くてうるさかったでしょう。お気の毒でした。もうこれだけです。どうか論文の第一著者の欄に、この研究室で一番偉い人の名前を書いておいてください。」

なるほど研究室の名簿は置いてありましたが、こんどというこんどは二人ともぎょっとしてたがいの顔を見合せました。

「どうもおかしいぜ。」

「ぼくもおかしいとおもう。」

「沢山の貢献というのは、こっちが研究室へ貢献してるんだよ。」

「だからさ、研究室の院生というのは、ぼくの考えるところでは、院生がテーマにしていることを研究させるのではなくて、院生を無償の労働力代わりにして、偉い教授の業績に貢献するとこういうことなんだ。これは、その、つ、つ、つ、つまり、ぼ、ぼ、ぼくらが……。」がたがたがたがた、ふるえだしてもうものがいえませんでした。

「その、ぼ、ぼくらが、……うわあ。」がたがたがたがたふるえだして、もうものがいえませんでした。

「にげ……。」がたがたしながら一人の院生はうしろの戸を押そうとしましたが、どうです、戸はもう一分も動きませんでした。

奥の方にはまだ一枚扉があって、

「いや、わざわざご苦労です。大へん結構にできました。さあさあできあがった論文をこちらにお持ちください。」

と書いてありました。おまけに戸の中からはきょろきょろ二つの青い眼玉がこっちをのぞいています。

「うわあ。」がたがたがたがた。

「うわあ。」がたがたがたがた。

ふたりは泣き出しました。

すると戸の中では、こそこそこんなことを云っています。

「だめだよ。もう気がついたよ。第一著者の欄に書かないようだよ。」

「あたりまえさ。教授の書きようがまずいんだ。あすこへ、いろいろ貢献が多くてうるさかったでしょう、お気の毒でしたなんて、間抜けたことを書いたもんだ。」

「どっちでもいいよ。どうせぼくらには、業績を分けてくれやしないんだ。」

「それはそうだ。けれどももしここへあいつらが論文を持ってこなかったら、それはぼくらの責任だぜ。」

「呼ぼうか、呼ぼう。おい、院生方、早くいらっしゃい。いらっしゃい。いらっしゃい。投稿先の学術誌も選んでおきました。あとはあなたがたの用意した論文をうまくとりあわせて、投稿するだけです。はやくいらっしゃい。」

「へい、いらっしゃい、いらっしゃい。それともいきなり学術誌に論文として投稿するのはお嫌いですか。そんならこれからどこかの学会で口頭発表の形にしてあげましょうか。とにかくはやくいらっしゃい。」

二人はあんまり心を痛めたために、顔がまるでくしゃくしゃの紙屑のようになり、おたがいにその顔を見合せ、ぶるぶるふるえ、声もなく泣きました。

中ではふっふっとわらってまた叫んでいます。

「いらっしゃい、いらっしゃい。そんなに泣いては折角の論文が汚れるじゃありませんか。へい、ただいま。じきもってまいります。さあ、早くいらっしゃい。」

「早くいらっしゃい。教授がもう舌なめずりして、院生方を待っていられます。」

二人は泣いて泣いて泣いて泣いて泣きました。

そのときいきなり、「これでもくらえ。」という声がしました。扉の向うの眼玉はたちまちなくなりました。するとその扉の向うのまっくらやみのなかで、「にゃあお、くゎあ、ごろごろ。」という声がして、それからがさがさ鳴りました。

研究室はけむりのように消え、二人は寒さにぶるぶるふるえて、草の中に立っていました。

そしてうしろからは、「おおい、おおい」と叫ぶものがあります。見れば、さきほど案内してくれた万年助手でした。

二人はにわかに元気がついて「おおい、おおい、ここだぞ、早く来てくれ。」と叫びました。

薄汚れた白衣を身につけた万年助手が、草をざわざわ分けてやってきました。

そこで二人はやっと安心しました。

そして助手のもってきた退学届にサインをし、そのまま故郷に帰りました。

しかし、研究室で一ぺん紙くずのようになった二人の院生の顔だけは、故郷に帰っても、お湯にはいっても、もうもとのとおりになおりませんでした。

注意書き

この物語はフィクションです。(2013年12月27日:誤字修正)