“圳”という字の読み方

概要
“圳”という漢字が中国語・日本語でどのように読まれるのかについて解説する。中国語では、広東で用いられている場合は“zhèn”と読み、台湾で用いられている場合は“zùn”と読む。

はじめに

中国広東省に“深圳”という都市がある。この都市は国際金融都市の香港に近いという地の利を活用して、経済発展を続けてきた。今では、中国本土で経済的に最も発展した都市の1つとなっている。“深圳”は、標準中国語では“Shēnzhèn”(センツェン)と読み、日本語では「しんせん」と読む。ところが、この都市の名前に用いられている“”という字は他の用法では違う読みをすることがある。以下、この字をどう読むかについて見ていきたい。

“圳”という漢字は、中国の伝統的な古典に出てくるような漢字ではないし、広く使われるような漢字でもない。この字は、限られた地域でのみ用いられる「方言字」である。漢字圏の中でも限られた地域 [1] でしか用いられず、規範意識の高い人からは「俗」な字であるとみなされる。

中国語での“圳”の読み方

“圳”が用いられる地域は2つある。1つは広東であり、もう1つは福建・台湾 [2] である。後で見るように、広東での“圳”の用法と福建・台湾での“圳”の用法は異なっているので、それぞれの地域で“圳”という漢字が独立に作られて、たまたま字形が一緒になっただけではないかと私は思うのだが、実際のところはどうか分からない。

広東での“圳”

台湾の中国語辞典『教育部重編國語辭典修訂本』のオンライン版では、“圳”という字の語釈の1つとして、“廣東方言。指田野間的水溝。”(広東方言で、田畑の間の水を流す溝 [3] を指す。)と記述し、例として“深圳”を挙げている。そして、この語釈に対応する発音として、“zhèn” [4] が挙げられている。なお、この “zhèn” という音はあくまでも標準中国語での発音であり、広東語の発音ではない。

方言字というのは、基本的にその方言での音しか持っておらず、標準中国語での発音は想定されていない。しかし、中国語の辞書に漢字を載せる場合、標準中国語での音を無理矢理にでも規定しなくてはならない。このような場合は、その方言と標準中国語との間で音韻体系がシステマティックに対応するように音を定めるのが通例である。

“圳”の広東語での発音を国際音声字母で表すと、[tʃɐn³³] [5] になる。広東語で [tʃɐn³³] と発音する字には、他に“鎮, 震, 振”といったものがある。これらの字は、北京音に基づく標準中国語では、“zhèn”と読まれる。このことから、“圳”も標準中国語では “zhèn” と読むと仮定した方が、広東語の [tʃɐn³³] と標準中国語の“zhèn” がシステマティックに対応していることになって嬉しいのである。というわけで、広東の方言字“圳”は、“zhèn” と読むことになったわけである。

台湾での“圳”

広東での“圳”は「田畑の間の水を流す溝」という意味だったが、台湾の“圳”はこれと違った意味を持つ。台湾の中国語辞典『教育部重編國語辭典修訂本』のオンライン版では、“圳”の語釈として、“閩粵方言。指灌溉用的水渠。”(閩粵 [6] 方言で、灌漑用の水路を指す。)というものも挙げている。そして、この語釈に対応する発音として、“zùn” と “chóu” [7] を挙げている。なお、この辞典では、“zùn” と “chóu” の2つの発音があるが、台湾では“zùn”と読むのが通例であろう。

広東の「田畑の間の水を流す溝」とは異なり、台湾では「灌漑用の水路」という意味になるのである。実際、台湾南部に“嘉南大圳”と呼ばれる大規模な水路がある。嘉南大圳は、作る際にダムも一緒に造っているぐらいなので、広東の「田畑の間の水を流す溝」のような小さいものではない。そして、この“圳”は“zùn” と読むのである。

まとめ

まとめると、台湾などの水路を示すときは“zùn”と発音し、広東の地名を示すときは“zhèn”ということになる。

日本語での「圳」の読み方

今まで中国語での“圳”の読み方を見てきたが、ここからは日本語での「圳」の読み方について見てみたい。

日本で一番大きな漢字字典の『大漢和辞典』(諸橋轍次著)では、「圳」の読み方として以下の3つを挙げている。

  1. シウ [8] 、ジュ(反切 [9] は市流切)
  2. シン(反切は子鴆切)
  3. シュン

先に見たように、広東省の「深圳」は、日本語では「しんせん」と読むのが通例である。しかし、『大漢和辞典』には「圳」を「せん」とする読み方は載っていない。これはどういうことなのだろうか? おそらく、本来「圳」を「せん」と読むのは「正しい」読み方ではなかったのだろう。そして、「圳」という日常生活では見ないような漢字を見た人が、読みを推測するのに辞書で調べることなどをせずに、「圳」という字の右側の「川」の音読みの「せん」を採用した [10] のだと思われる。つまり、「深圳」を「しんせん」と読むのは、読み間違えが定着した結果であると思われる。

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脚注
  1. 漢字圏の限られた地域でしか用いられない漢字として、日本の国字がある。「峠」や「辻」といった漢字は、基本的に日本でしか用いられず、中国や朝鮮では用いられることがなかった。 []
  2. 台湾は福建からの移民が多く、福建の文化的影響が強い。 []
  3. 『康熙字典』では『字彙補』を引いて、「市流切、江楚間、田畔水溝謂之圳」としている。 []
  4. 台湾で用いられる注音字母ではㄓㄣˋと表記する。 []
  5. 上付の33という数字はこの音節の声調を示したものである。これは、陰去声であり、中ぐらいの高さで音を保つ声調である。厳密に言うと、こうした数字による声調表記は国際音声字母の書き方のルールには則っていないのだが、中国語研究では慣例的に声調をこのように表す。 []
  6. 閩は福建、粵は広東を指す。 []
  7. 台湾で用いられる注音字母では順にㄗㄨㄣˋ、ㄔㄡˊと表記する []
  8. 大漢和辞典の読み方の表記は歴史的仮名遣いによっている。このため「シウ」は、現代仮名遣いにすると「シュウ」になる。 []
  9. 反切というのは字音を表す伝統的な手法である。大まかに言うと、前の漢字の子音と後ろの漢字の母音をくっつけて読むというもの。この記事の話を理解するときには無視しても構わない。 []
  10. いわゆる百姓読みをしたのである。 []