『統計学二十六景』の翻訳出版

概要
『統計学二十六景―視点・難問・矛盾―』という本の日本語版が翻訳され、出版されることになった。この翻訳書について、どういった内容であるか、どういった人におすすめであるかを紹介する。

はじめに

私の訳した『統計学二十六景』という書籍が2025年8月に出版されることとなった。

  • Eric Sowey, Peter Petocz〔著〕、西原 史暁〔訳〕.(2025). 『統計学二十六景―視点・難問・矛盾―』共立出版.

タイトルを見れば統計学に関する本だとすぐに分かるだろうが、これだけでは統計学の中でも具体的にどんなことを扱っているのか想像しにくいかと思う。というわけで、訳者の立場からこの本の位置づけや内容を紹介していこうと思う。

『統計学二十六景』から統計学の意外な一面を見てみよう

脇道をたどる小ネタ集

『統計学二十六景』は、統計学の教科書ではない。形式的には、統計学のさまざまな分野を章ごとに説明し、各章には問題まで付いているので、教科書っぽい面はある。だが、(少なくとも典型的な)教科書ではない。

むしろ、統計学の脇道をたどる小ネタ集と捉えるとよいと思う。統計学のちゃんとした教科書を読んでいくのは、分かりやすいまっすぐとした大通りを進むようなものだ。こうした教科書は、統計学の概念と手法を学ぶために、余計なことはあまり触れずに最小限の情報で理解できるように作られているものだ。

これに対して、この本は、言わば脇道をたどる旅だ。普通の教科書では行かないような小路に入ったり、はたまた統計学の本筋からは外れたところに進んだりすることがある。

その点で、この本は、何か1つのことを説明しているというよりは、統計学に関するさまざまなことを紹介していると言った方がよいだろう。日本語版のタイトルで『統計学二十六景』とあるように、統計学に関するさまざまな景色を見ているのだ。

つまり、『統計学二十六景』は統計学に関する小ネタ集と捉えるとよい。例えば、以下のような小ネタが載っている。こうした小ネタが面白いと思える人は、ぜひ読んでみるとよいだろう。

  • 「セイレーンが歌った歌が何だったかを統計学では答えられないかもしれないが、それ以外なら統計学で答えられる」という名言を著者はどうやって探ったのか(第4章)
  • 偉大な統計学者フランシス・ゴルトンは、どのような叙情的な言葉で正規分布を称えたのか(第14章)
  • 正規母集団の分散を標本から推定するときに普通は $n-1$ で割るが、代わりに $n+1$ で割るとどうなるのか?(第15章 問15.4)
  • 身長と体重を結びつける回帰分析で、身長の単位をインチからセンチメートルに替えると、分析から出てくる数値はどう変わるのか?(第18章 問18.1)
『統計学二十六景』の脇道

想定される読者

原著者は序文で「統計学について少しでも知識を持っているすべての人」に向けての本だと言っている。訳者の立場としてそこを真っ向から否定するわけにもいかないのだが、私からすると統計学に関する前提知識がある程度ないと読み解くのは正直難しい本だと感じている。

もっとも前提知識がない読者を完全に排除しているわけではない。例えば、第I部や第V部は、統計学の考え方の基本や統計と社会のかかわり、歴史を主に扱っており、数式もほとんど出てこない。こういったところは、統計学についてよく知らなくても、理解できると思う。つまり、むしろ人文に興味がある人が面白く読める部分もあるということだ。

ただ、特に第III部から第IV部にかけては、中心極限定理、正規分布、統計的仮説検定、区間推定、回帰分析といった言葉を知らないと、この本をうまく読みこなせないと思う ((第II部については若干の数式が出てくる章もあるし、あまり前提知識が要らない章もある。第5章・第8章・第9章はあまり前提知識が要らない方だと思う。)) 。こうした大学の統計の入門授業で学ぶような用語については、当然知っているという前提で話が進んでいく。もちろん全く解説なしに進んでいくわけではないのだが、全然聞いたことがないというレベルだと厳しいだろう。完璧に知っている必要はないが、大学で通年の統計学の入門授業を学んでいるぐらいの前提知識はあった方がよい。例えば、東京大学出版会の『統計学入門』という教科書 ((東京大学教養学部統計学教室〔編集〕.(1991). 『統計学入門』東京大学出版会.)) に載っている内容を完璧でないにせよある程度把握していた方がよい。あるいは、一般財団法人統計質保証推進協会が実施している「統計検定」の2級で扱う内容程度と言い換えることができるだろう。

では、具体的にどういう人が何のためにこの本を読むとよいだろうか。私としては、以下の2つのパターンがあると思う。

  • 統計学の入門講義を一通り終えた人が、統計学に関わる教養を深めるために読む
  • 統計学を何かしら教える人が、教える際のネタを充実させるために読む

統計学の入門講義を一通り終えた人

統計学を学んだことのある人にとって、この本の魅力は教科書で見落とされがちな脇道を歩ける点にある。教科書の記述では公式や定理の形だけが強調されることが多いが、この本ではその背後にある歴史的な逸話や発見の経緯が丁寧に紹介されている。つまり、数式として習った内容が「人間が苦労してたどり着いた知恵」として立ち上がってくるのだ。

その結果、入門授業で「そういうものだ」と割り切って覚えた手法を、別の角度から眺め直すことができる。例えば、正規分布や推定の手法を単なる道具としてではなく、かつての学者の問題意識や背景と結びつけて理解することができる。引いては、「なぜそうなるのか」という問いがより深まっていくだろう。

もちろんこの本は、教科書的な体系性や実用性を狙った本ではない。しかし逆に言えば、統計をより広く見渡すための準備運動として機能する。そして何より、統計の方法論が唯一絶対の狭いものではなく、多様な選択肢があることを実感できる。この距離感を学ぶことは、統計を柔軟に理解するうえで大きな財産になるだろう。

統計学を何かしら教える人

ここで「何かしら教える人」と言っているのは、統計学の授業を持っている人にかぎらない。例えば企業でデータ分析をしている人が後輩にやり方を教えたり、大学で何かしらの論文を読むときにその中のデータ分析について説明したりするような場合も念頭に置いている。

統計を教える立場からすると、この本は教えるときの本筋を補うための小ネタ帳として活用できるだろう。この本に出てくる逸話は、授業の導入などで受講者の注意を引くフックや、場を和ませるアイスブレイクとして便利だろう。

また、教科書的な知識を淡々と積み重ねるだけでは「なぜこれを学ぶのか」という問いに答えにくいことが多いが、この本で紹介されている歴史的背景や人間臭いエピソードを差し挟むことで、学ぶ意義を語りやすくなる。

さらに、扱われている小ネタはレベルに幅があるため、数学が得意な人には少し踏み込んだ話を、そうでない人には社会や日常と結びつく話を、と使い分けることも可能だ。

加えて、教える側自身にとっても、教科書では触れない「脇道」を歩く体験は、自分の知識をリフレッシュし、授業に取り入れられる新しい材料を増やすきっかけになる。そういう意味で、この本は教わる側だけでなく教える側にとっても知的な刺激を与えてくれる一冊だといえるだろう。

各章の内容紹介

さて、各章の内容を紹介していこう。

第I部 導入

  • 第1章 統計学はなんでこんなに魅力的なテーマなのだろうか
    • この章では、「統計的推論」とはどんな推論の仕組みなのかを示している。あわせて、この本が扱う内容の概観を載せている。
  • 第2章 統計は数学と何が違うのだろうか
    • この章はタイトルの通り、数学の問題の扱い方と統計の問題の扱い方の違いを示している。第1章で触れた統計的推論の仕組みについて、数学と対比することではっきりさせている。
  • 第3章 統計的リテラシー——21世紀の必須科目
    • 現代社会の中でニュースなどを読み解く際の統計的リテラシーの概観を載せている。統計的リテラシーの具体的活用例はあまり載っておらず、統計的リテラシーについて知るためのリソースなどの紹介が中心となっている。
    • 統計的リテラシーを活用する具体例については第5章や第8章・第9章に載っている。
  • 第4章 ウェブでの統計学の調べ物
    • この章もタイトルの通り、ウェブ上にある統計学に関するリソースの紹介をしている。あわせて、原著者が統計学者の名言を調べた経緯という脇道も語られる。

第II部 統計的記述

  • 第5章 信頼できる統計は、正確であり、意味があり、関連がある
    • ニュースや日常生活で出てくるような統計数値を読み解く際に注意すべきことを事例とともに紹介している。
    • 第3章で導入された統計的リテラシーを活用する具体例となっている。
  • 第6章 この素晴らしい標準偏差に祝福を!
    • 記述統計でよく使う尺度――平均値・中央値・標準偏差――について説明している。ただ、こうした尺度の定義や計算方法については特に触れていない。むしろこうした尺度を理解するときの難点や、利用するときの注意点の説明が中心となっている。
  • 第7章 指数——平均値のタイムトラベル
    • 物価指数について扱っている。
  • 第8章 わなに満ちた統計の誘惑術 その1
  • 第9章 わなに満ちた統計の誘惑術 その2
    • 第8章と第9章は統計の不適切な使用について記している。数理統計学上の誤用というよりは、ニュースや政治などで誘導しようとするために統計を悪用することが中心となっている。こうした悪用にどのようなものがあるかの特徴に触れ、読者に注意喚起するものとなっている。
    • これらの章は、第3章で導入された統計的リテラシーの話を深めたものとなっている。

第III部 推論への前提

  • 第10章 確率プロバビリティーのパズルとパラドックス
    • 確率にはさまざまなパズルやパラドックスがあることを紹介した上で、ランダム性や独立性について紹介している。
    • ちなみに、この章のタイトルの「確率」に「プロバビリティー」という振り仮名をしているのは、「パズル」と「パラドックス」に合わせて全部パ行で始まるように統一したかったため。
  • 第11章 ランダム性に関するいくつかのパラドックス
    • ランダム性の議論の続きとして、真の乱数の特徴、およびそれを生成する方法、さらに擬似乱数の話に触れている。
  • 第12章 ギャンブルの隠れたリスク
    • ギャンブルにおける確率に触れたあと、ここから発展して中心極限定理について触れている。
  • 第13章 統計学におけるモデル
    • 統計モデルについて、決定論的モデルとも違いにも触れつつ説明している。
    • 第2章で挙げた統計と数学の違いの発展的内容にもなっている。
  • 第14章 正規分布——歴史、計算、好奇心
    • 正規分布そのものがどう研究されてきたかの歴史と、その値の算出法の歴史について説明されている。
ゴルトンによる正規分布への讃辞が第14章に載っている。

第IV部 統計的推論

  • 第15章 応用統計学の柱 その1 推定
    • 推定について、研究史について触れつつ、具体的にどのようなものがあるかを概観している。
  • 第16章 応用統計学の柱 その2 仮説検定
    • 仮説検定の原理を復習した後、この手法が開発された歴史についても触れながら、その限界についても述べている。
  • 第17章 「データスヌーピング」と多重検定での有意水準
    • データを見た後に仮説の選択を行う「データスヌーピング」の問題点を説明し、これと関連する形で仮説検定を何度も行うことの問題点を記している。
  • 第18章 フランシス・ゴルトンと回帰の誕生
    • 回帰について、フランシス・ゴルトンがなした貢献を手がかりに歴史的な観点から説明している。
  • 第19章 実験計画法——ランダムな変動のベールを貫く
    • 実験計画法の概説となっている。第IV部の他の章に比べて歴史的な観点は比較的少ない。どちらかと言えば一般的な教科書の概説に近い。
  • 第20章 ベイズをたたえて
    • トーマス・ベイズがベイズの定理を出すに当たって、どのような確率の問題を解きたかったのかについて歴史的な観点も交えて説明している。そして、現代的な具体例を挙げることで、ベイズ統計学の考え方も示している。
フィッシャーの実際のエピソードが第19章の問題になっている。

第V部 いくつかの統計の脇道

  • 第21章 統計学における質
    • 統計学において質的変数を扱うことについて説明している。
  • 第22章 アイデアの歴史——統計学の人となりと統計学者の人となり
    • 統計学を発展させてきたさまざまな学者を紹介することで、統計学の歴史の概観を示している。合わせて、統計学の歴史を知るための文献などの紹介をしている。
  • 第23章 統計学におけるエポニミー
    • 統計学において、人名をとって名付けられた用語(エポニミー)としてどのようなものがあるかを説明している。
  • 第24章 統計的「法則」
    • 科学的法則とは何かについて簡単に示している。その後、正規分布にまつわる「法則」の限界について記している。
  • 第25章 統計的アーティファクト
    • 統計処理のために作られた人工物としてどのようなものがあるかを紹介している。その後、統計を不適切に使ったり、計算をうまく行わなかったりすることで生まれてしまう偽の結果を説明している。

第VI部 解答

  • 第26章 章末問題への解答
    • これまでの25章に5問ずつある章末問題(計125問)の解答・解説を載せている。分量としてはかなり多く、全体の4分の1程度になっている。
『統計学二十六景』に出てくる主な分野

訳書のタイトルの意味

この本の英語原文のタイトルは、A Panorama of Statistics: Perspectives, Puzzles and Paradoxes in Statistics だ。これを日本語に直訳すれば、『統計の全景:統計における視点・パズル・パラドックス』とでもなるだろう。ただ、訳書においてはこうした直訳を採用せず、タイトルは『統計学二十六景——視点・難問・矛盾——』とした。

この『統計学二十六景』は、葛飾北斎の『 富嶽 ふがく三十六景』をもじったものだ。こうしたのは、単に語呂が良いだけというわけではない。

実は、『統計学二十六景』における統計学の位置づけと、『富岳三十六景』における富岳(=富士山)の位置づけが非常によく似ているのだ。『富岳三十六景』の中には、「凱風快晴」のように絵のほとんどを富士山が占める絵もあれば、「本所立川」のように背景に小さく富士山があるに過ぎない絵もある。つまり、どの絵にも富士山は出ているものの、それが必ずしも主役にはなっていないことがある。

この『統計学二十六景』という本も同様に、必ずしも統計学が主役として前面に出ないことがある。つまり。統計学が前面に出てくる章もあれば、統計学が背景に来てむしろ歴史的なエピソードが前面に出てくる章もあるのだ。だが、背景とは言え、しっかりと統計学は存在している。『富嶽三十六景』が富士山をさまざまな方向から捉え、意外な姿を描いたのと同様に、この本は統計学をさまざまな方向から捉え、意外な姿を描いているのだ。

なお、副題の「視点・難問・矛盾」は実は「ん」で脚韻を踏んでいる。これは実は、英語の副題が P- で頭韻を踏んでいるのを何とかして日本語に反映した結果だ。

タイトルにかぎらず、この本の英語原文ではさまざまな言葉遊びやいろいろな文体が用いられている。英語と日本語は全然違う言語なので、これらを完全に訳すのは難しいところだ。だが、訳者として、なるべくそうした言葉遊びや文体の違いを日本語にうまく置き換えるようにしたつもりだ。

『統計学二十六景』には125個の問題が付いている。

おわりに

この本には各章に5問ずつ、あわせて125個の問題が付いている。それらの問題は、知識を確認するというよりも、統計学に関してさらに深く知るための小ネタとなっている。単なるトリビアに過ぎない問題もあるが、統計学への理解を深める問題も少なくないこうした問題があることがこの本の特徴なので、ぜひご覧になっていただきたいと思う

最後に、125個もの問題があるこの本にふさわしくなるよう、独自の問題を1つ挙げることでこの紹介を締めたいと思う ((この紹介ページ独自の問題なので、『統計学二十六景』の中にこの問題やその解答は載っていない。)) 。

『統計学二十六景』の重さ

訳者が『統計学二十六景』の日本語版書籍のうち1冊の重さをキッチンばかりで量ったところ、500グラムだった。そこで、「『統計学二十六景』を2冊買って持ち運べば、いつでも統計学について学べるほか、1キログラムの重さがどれぐらいか分かる」という宣伝文句を考えた。統計学を学んだことがあるあなたは、これに対してどう考えるか。

注釈