“改恶”は日本語の「改悪」と方向が違う
中国語に “改恶” (gǎiè) という単語がある。繁体字で書けば、“改惡”だ。これは字面こそ同じものの、一般には日本語の「改悪」と意味が違うので注意が必要だ。
日本語では「改悪」は普通は「悪い方向に改める」という意味になる。しかし、中国語の“改恶” (gǎiè) は普通はそうはならない。「悪しきを改める」ということで、結局の所「良い方向に改める」という意味になる [1] 。
例えば、1959年の中華人民共和国主席特赦令 [2] では、以下のように“改恶”という言葉が用いられている。ここでは犯罪人が共産党による改造を経て、過去の悪事を改めて善い道に進んだという流れで“改恶”が用いられているのである。
在押各种罪犯中的多数已经得到不同程度的改造,有不少人确实已经改恶从善。为了庆祝伟大的中华人民共和国成立十周年,庆祝中国共产党的社会主义建设总路线的胜利,庆祝大跃进和人民公社运动的辉煌成就,根据第二届全国人民代表大会常务委员会第九次会议的决定,对于确实改恶从善的蒋介石集团和伪满洲国的战争罪犯、反革命罪犯和普通刑事罪犯,实行特赦。
(訳:拘留中の各種犯罪人の多くがすでにさまざまな程度の改造[=拘留中の労役や思想面での変革]を受けており、少なからぬ人たちがすでに確実に悪しきを改めて善くなっている[=改悛している]。偉大なる中華人民共和国の成立十周年を祝い、中国共産党の社会主義建設総路線の勝利を祝い、大躍進と人民公社運動の輝かしき成就を祝うべく、第2期全国人民代表大会常務委員会第9回会議の決定に基づき、確実に悪しきを改めて善くなっている[=改悛している]蒋介石集団および偽満州国の戦争犯罪人、反革命犯罪人、ならびに一般刑事犯罪人に対して、特赦を実施する。)
なお、“改恶”を単独で用いることはあまりないようで、上の用例のように“改恶从善” (ɡǎiè-cóngshàn) と言ったり、“改惡向善” (ɡǎiè-xiànɡshàn) や “改惡行善” (ɡǎiè-xíngshàn) と言ったりすることが普通であると思われる。いずれも悪しきを改めて善い方向に進むことを示している。
古典中国語の場合
「良い方向に改める」という意味になるのは、古典中国語(漢文)でも同じだ。
『礼記』の「中庸」に“動則變”(動けば則ち変ず)という文言がある。これに対する鄭玄の注に“變、改惡爲善也”(変ずるは、悪しきを改めて善を為すことなり)とある。ここでの“改惡”は「悪しきを改める」ということで、良い方向になることを示すのである。
また、『後漢書』の「孔融伝」に載っている孔融の建議では“漢開改惡之路、凡為此也。”とある。ここでは、肉刑 [3] を漢(の文帝)が止めさせたことについて、肉刑という悪しきことを改めたと表現しているのである。
「悪い方向に改める」という意味になる場合も
ただ、“改恶”が日本語と同様に「悪い方向に改める」という意味になる場合も見られる。
次に引用する文は、台湾(中華民国)の労働者保険年金の制度変更に関するものである。
勞保年金的改惡,會確確實實影響所有正在勞保中的勞工,甚至部分退休後的勞工。
(訳:労働者保険年金の改悪は、現在労働者保険の対象者となっている労働者全員に確実に影響するだけでなく、一部の定年後の労働者にさえ影響する。)
この文章の書き手は、制度変更に反対する立場の人であり、労働者保険年金が悪い方向に改められることを指摘しているのである。
中国語で「悪い方向に改める」と言いたい場合
もし日本語の「改悪」のように「悪い方向に改める」ということを言いたければ、“改坏” (gǎihuài) とすればよい。
日本語の「改悪」を中国語で“改坏”と表現している例を見てみよう。次は、安倍政権が憲法改悪を進めていると日本共産党の志位委員長が述べたことを報じた記事の一説である。
日本共产党委员长志位和夫批评称“强行通过安保法并推进改坏宪法是对立宪主义的重大挑战。”
(訳:日本共産党の志位和夫委員長は、「安保法を強行通過させ、憲法改悪を進めるのは立憲主義に対する重大な挑戦である」と述べて批判した。)