はじめに
絶句や律詩を作るときには、使用する漢字の平仄を知っている必要がある。平仄は基本的に唐代の中国語の発音に基づいているので、それが分からない現代人にとっては、漢和辞典などを使って、字の平仄を調べなくてはならない。
「漢和辞典を使って平仄や韻を調べる」という記事を書いたので、調べ方を知りたい人は参照されたい。
ただ、実は日本語の漢字音と現代の標準的な中国語(普通話)の漢字音の知識があれば、大概の場合、ある字が平声なのか仄声なのかを判断することができる。
フローチャートを書けば、以下のようになるだろう。

日本語の漢字音から入声を取り出す
日本語の漢字音の知識があれば、仄声のうち、入声を取り出すことは比較的容易である。日本語の歴史的仮名づかいで考えたときに、漢字音の2つ目の拍が、キ・ク・チ・ツ・フのいずれかになるものは入声である。例をいくつか見てみよう。
- 「域」という字は入声である。「イキ」と、音の2つ目の拍が「キ」になっているからである。
- 「弱」という字は入声である。「ジャク」と、音の2つ目の拍が「ク」になっているからである。
- 「八」という字は入声である。「ハチ」と、音の2つ目の拍が「チ」になっているからである。
- 「筆」という字は入声である。「ヒツ」と、音の2つ目の拍が「ツ」になっているからである。
なお、こうやって入声かどうかを判定するときは、音読みで考えなくてはならない。訓読みで考えても意味はない。例えば、「蜂」という字が「はち」と読むからと言って、入声だと判定してはならない。「蜂」を「はち」と読むのは訓読みである。なお、「蜂」の音読みは「ホウ」 [1] なので、キ・ク・チ・ツ・フのいずれにも当てはまらず、入声と判断することはできない。
2つ目の拍が「フ」になる場合
漢字音の2つ目の拍が、キ・ク・チ・ツになる場合は判定が容易なのだが、「フ」になる場合はややこしくなる [2] 。なぜかと言えば、歴史的仮名づかいでの「フ」が現代仮名づかいでは「ウ」になってしまっているからだ。
例えば、「乏」という字について考えてみよう。この字の音は歴史的仮名づかいでは「ボフ」と表される。2つ目の拍が「フ」なので、入声であると分かる。しかし、現代仮名づかいでは「ボウ」となっているので、現代仮名づかいしか知らなければ、これが入声であることが分からない。
歴史的仮名づかいの「フ」が現代仮名づかいの「ウ」に変わっているとすれば、現代仮名づかいで表したときに、2つ目の拍が「ウ」であれば入声だと判断して良いのではないかと思う人もいるかもしれない。だが、そうはならない。現代仮名づかいで2つ目の拍が「ウ」になるもののすべてが、歴史的仮名づかいで「フ」であったとはかぎらないからだ。
例えば、「乏」・「帽」・「亡」は、現代仮名づかいではいずれも「ボウ」となるが、歴史的仮名づかいでは「ボフ」・「ボウ」・「バウ」となる。2つ目の拍が「フ」となり、入声と判定されるのは、この中では「乏」だけなのだ。
促音となる例から見分ける
ただし、現代仮名づかいで2つ目の拍が「ウ」になる字について、熟語にしたときに促音(小さいツ)が出てくるものならば、歴史的仮名づかいで2つ目の拍が「フ」になるという性質がある。これを使えば、歴史的仮名づかいが完全に分からなくても、入声であるかどうかを判断できる。いくつか事例を見てみよう。
- 「納」という字は、現代仮名づかいでは「ノウ」となる。このままでは、歴史的仮名づかいが分からないが、「納得」や「納豆」で「ナッ」と読むことを思い出してみよう。ここで促音が出てくるので、歴史的仮名づかいでで2つ目の拍が「フ」になることが分かる。実際、「納」の歴史的仮名づかいは「ナフ」で、音の2つ目の拍が「フ」になっているから、入声であると判定できる。
- 「甲」という字は、現代仮名づかいでは「コウ」となる。このままでは、歴史的仮名づかいが分からないが、「甲冑」で「カッ」と読むことを思い出してみよう。ここで促音が出てくるので、歴史的仮名づかいでで2つ目の拍が「フ」になることが分かる。実際、「甲」の歴史的仮名づかいは「カフ」で、音の2つ目の拍が「フ」になっているから、入声であると判定できる。
- 「法」という字は、現代仮名づかいでは「ホウ」となる。このままでは、歴史的仮名づかいが分からないが、「法親王」で「ホッ」と読んだり、「法度」で「ハッ」と読んだりすることを思い出してみよう。ここで促音が出てくるので、歴史的仮名づかいでで2つ目の拍が「フ」になることが分かる。実際、「法」の歴史的仮名づかいは「ハフ」または「ホフ」で、音の2つ目の拍が「フ」になっているから、入声であると判定できる。
なお、熟語にするときに必ず促音(小さいツ)が出てくるわけではないことに気をつけよう。「法」という字について言えば、「法律」や「法事」は促音にならない。
だから、促音となる熟語が思いつかないからと言って、入声ではないと結論づけるわけにはいかない。もし、促音となる熟語があれば入声と見てよいというだけの話だ。
普通話の発音から見分ける
また、普通話の発音が分かれば、日本語の現代仮名づかいで2つ目の拍が「ウ」になる字が、もともと歴史的仮名づかいで「フ」であったかどうかを判断することができる。
- 普通話で発音するとき、-u, -ou, -iou, -ao, -iao で終わる字 [3] は、歴史的仮名づかいの2つ目の拍は「ウ」になる。
- 「口」という字は、普通話では kǒu であり、-ou で終わっている。この字の歴史的仮名づかいは「コウ」で、たしかに2つ目の拍は「ウ」になっている。
- 「猫」という字は、普通話では māo であり、-ao で終わっている。この字の歴史的仮名づかいは「ベウ」で、たしかに2つ目の拍は「ウ」になっている。
- 「住」という字は、普通話では zhùであり、-u で終わっている。この字の歴史的仮名づかいは「ヂウ」で、たしかに2つ目の拍は「ウ」になっている。
- 普通話で発音するとき、-ng で終わる字も、歴史的仮名づかいの2つ目の拍は「ウ」になる。
- 「公」という字は、普通話では gōng であり、-ng で終わっている。この字の歴史的仮名づかいは「コウ」で、たしかに2つ目の拍は「ウ」になっている。
- 「譲」という字は、普通話では ràng であり、-ng で終わっている。この字の歴史的仮名づかいは「ジャウ」で、たしかに2つ目の拍は「ウ」になっている。
- その他の場合は、歴史的仮名づかいの2つ目の拍は「フ」になる。
- 「納」という字は、普通話では nà であり、-u や -ng で終わっていない。この字の歴史的仮名づかいは「ナフ」で、2つ目の拍は「フ」となり、入声であると判断できる。
- 「及」という字は、普通話では jí であり、-u や -ng で終わっていない。この字の歴史的仮名づかいは「キフ」で、2つ目の拍は「フ」となり、入声であると判断できる。
- 「蝶」という字は、普通話では dié であり、-u や -ng で終わっていない。この字の歴史的仮名づかいは「テフ」で、2つ目の拍は「フ」となり、入声であると判断できる。
ただ、何事にも例外はある。「入」という字は、普通話では rù であり、-u で終わっているから、今までの話で言えば、歴史的仮名づかいの2つ目の拍は「ウ」となるはずだ。しかし、この字の歴史的仮名づかいは「ニフ」であり、入声である。
普通話の漢字音から平仄を分ける
普通話の漢字音から平仄を分けるルールは単純である。もともと入声だった字を除けば [4] 、第1声・第2声ならば平声、第3声・第4声ならば仄声と判定することができる。もともと入声だった字を除くには、先に述べたように日本語の漢字音の知識を活用する必要がある。
参考文献
- 北京大学中文系现代汉语教研室〔编〕.(2004). 《现代汉语(重排本)》北京:商务印书馆.
- 王理嘉.(2003). 《汉语拼音运动与汉民族标准语》北京:语文出版社.
- 現代仮名づかいでも歴史的仮名づかいでも「ホウ」になる。 [↩]
- 歴史的仮名づかいで、2つ目の拍がキ・ク・チ・ツになる場合は、現代仮名づかいでもキ・ク・チ・ツのままになる。なので、2つ目の拍がキ・ク・チ・ツとなっていることをもって入声と判定することは、現代仮名づかいの知識だけでできる。 [↩]
- -u, -ou, -iou, -ao, -iao と5つも挙げたが、これは要するに、/u/ ([u] ないし [ʊ])で終わっている字のことを指す。-ao と -iao はピンインの字面では、‘o’が用いられているが、この‘o’は、実際には /u/ (音声的には [ʊ] に近い)である。王理嘉 (2003:84) によれば、-au を手書きした場合に -an とまぎらわしくなることがあることから、ピンインを制定するするときに -au でなく、-ao を選択したとのことである。 [↩]
- ところで、なぜもともと入声だった字を除かなければならないのだろうか。実は、こうした字は、普通話では、第1声になったものもあれば、第2声になったものもあり、さらに第3声になったものもあり、はたまた第4声になったものもあるのだ(北京大学中文系现代汉语教研室、2004:89)。このため、第1声・第2声ならば平声、第3声・第4声ならば仄声という単純なルールが、もともと入声だった字には適用できないのである。 [↩]