「楽」という漢字の音

概要
「楽」という漢字の音は意味によってさまざまなものがある。一般には「ガク」または「ラク」と読むことが多いが、それ以外の音もある。

はじめに

「楽」という漢字にはさまざまな音があり、意味によって使い分けている。日常生活では先ず出てこないような音も含めてすべて挙げると以下のようになる。

  1. 「音楽」という意味:歴史的仮名遣いでも現代仮名遣いでも「ガク」
  2. 「たのしい」や「たのしむ」という意味:歴史的仮名遣いでも現代仮名遣いでも「ラク」
  3. 「このむ」という意味:歴史的仮名遣いでは「ガウ」、現代仮名遣いでは「ゴウ」 [1]
  4. 「治療」という意味:歴史的仮名遣いでは「レウ」、現代仮名遣いでは「リョウ」
  5. 一部の地名:歴史的仮名遣いでは「ラウ」、現代仮名遣いでは「ロウ」

このうち、「音楽」という意味の「ガク」や「たのしい」という意味での「ラク」は日常生活でよく使われるものである。それ以外は、かなり特別な場合の音である。

「音楽」

「音楽」という意味のときは「ガク」と読む。「楽団ガクダン」、「器楽キガク」などがその例である。なお、この意味の場合、中国語では“yuè”と読む。

「たのしい」

「たのしい」や「たのしむ」という意味のときは「ラク」と読む。「楽園ラクエン」、「安楽アンラク」などがその例である。なお、この意味の場合、中国語では“lè”と読む。

「このむ」

「このむ」という意味で、歴史的仮名遣いでは「ガウ」、現代仮名遣いでは「ゴウ」となる。中国語では昔は“yào”であったが、今は“lè”と読むこともあって、「たのしい」という意味のときと区別が付かない。

以下、この音について詳しく見ていこう。

『論語』の「雍也第六」に「知者楽水、仁者楽山。知者動、仁者静。知者楽、仁者壽。」という言葉がある。これは、「知者ハ水ヲこのミ、仁者ハ山ヲこのム。知者ハ動キ、仁者ハしづカナリ。知者ハ樂シミ、仁者ハ寿いのちながシ。」と訓読することができる [2]

ここで、「楽」という字が3回用いられている。最初の2つの「楽」、すなわち「知者楽水、仁者楽山」の「楽」は「このむ」という意味である。最後の「楽」、すなわち「知者楽」の「楽」は「たのしむ」という意味である。

朱子が論語に付けた注釈である『論語集注』では、これらの「楽」について「楽、上二字並五教反、下一字音洛」と書いてある。これは、「前に出てくる2つの『楽』の字は『五』と『教』を合わせた音で、最後の『楽』は『洛』と同じ音である」という意味だ。つまり、「楽水」と「楽山」の「楽」は、歴史的仮名遣いでは「ガウ」、現代仮名遣いでは「ゴウ」になる [3] 。また、「知者楽」の「楽」は、歴史的仮名遣いでは「ラク」、現代仮名遣いでも「ラク」になる。

さらに、『論語』の「季氏第十六」に「益者三楽」という言葉がある。ここの「楽」も歴史的仮名遣いでは「ガウ」、現代仮名遣いでは「ゴウ」になり [4] 、現代仮名遣いで表記すれば「エキシャサンゴウ」と読み慣わす。

なお、今まで「ガウ」・「ゴウ」としてきたのは、漢音である。呉音では、歴史的仮名遣いで「ゲウ」、現代仮名遣いで「ギョウ」になる。神奈川県横須賀市大津に「信楽寺」という浄土宗の寺があり、「しんぎょうじ」と読む。ここで「楽」を「ぎょう」と読むのは、呉音である。

ところで、「知者楽水、仁者楽山」の「楽」は中国語ではどういう音になるのだろうか。

中国でよく使われている王力 [5] の『古漢語常用字字典第4版』では、「知者楽水、仁者楽山」の「楽」に対して、「旧読」として“yào”と記している。昔は“yào”という音で読んでいたということだ [6]

旧読の“yào”で読むべきだという指摘もあるようだが、そうした因習にとらわれずに現代音の“lè”で読むべきではないかという指摘 [7] もある。

「治療」

「楽」という字が「治療」という意味になるのはかなりまれである。「療」という字の代わりに、「楽」を用いることがあり、その場合は「療」の発音に従って、歴史的仮名遣いでは「レウ」、現代仮名遣いでは「リョウ」になる。中国語では、“liáo”となる。

『詩経』の「陳風・衡門」に「泌之洋洋、可以楽飢。」という部分がある。これに対して、鄭玄は「楽」を「療」の異体字である「𤻲」(やまいだれに「樂」 [8] )と解し、「療」と同じ音で読んでいる。鄭玄の解釈に従えば、「泌之洋洋、可以楽飢。」は、「泌ノ洋洋タル、以テうゑヲ、いやスベシ。」と訓読することができ、「わき出る水のたくさんあるのが、飢えをいやすことができる」という意味になる。

一部の地名

中国河北省にある楽亭という県は中国語では“Làotíng”と発音し、山東省にある楽陵という市は中国では“Làolíng”と発音する。このように、地名では“lào”という音になることがある。

『康煕字典』で“lào”に対応する音として、『唐韻』の「魯刀切、音労」という音が上げられている。これを日本語に直せば、歴史的仮名遣いで「ラウ」、現代仮名遣いでは「ロウ」になるだろう。

脚注
  1. 「ガウ」・「ゴウ」は漢音である。呉音ならば、歴史的仮名遣いで「ゲウ」、現代仮名遣いで「ギョウ」になる。 []
  2. 本文では、「知者楽水、仁者楽山」の「楽」を「このむ」と訓じたが、「ねがふ」と訓じたり、「たのしむ」と訓じたりする流儀もある。 []
  3. 『論語集注』での「五教反」は、本文では「『五』と『教』を合わせた音」と意訳した。厳密に言うと、『論語集注』では「反切」という方法で漢字の音を示している。反切では、2つの漢字を使って、1文字目の頭子音と、2文字目の頭子音以外の部分とを組み合わせた音を表す。「五教反」では、「五」の頭子音と「教」の頭子音以外の部分とを組み合わせることになる。漢音を歴史的仮名遣いで表示すると、「五」(ゴ)の頭子音は“g-”で、「教」(カウ)の頭子音以外の部分は“-au”になる。よって、これらを合わせて“gau”=「ガウ」という音を表すことになる。なお、「教」という漢字は、日本語では「キョウ」と読むことが多いが、これは呉音を現代仮名遣いで表したものである。漢音を歴史的仮名遣いで表すと「カウ」になる。 []
  4. 朱子の『論語集注』では、「益者三楽」を含む「益者三楽、損者三楽。楽節礼楽、楽道人之善、楽多賢友、益矣。楽驕楽、楽佚遊、楽宴楽、損矣。」という部分に対して、「楽、五教反。礼楽之楽、音岳。驕楽宴楽之楽、音洛。」と注が付けられている。この注に従えば、この部分の「楽」は基本的に「ガウ」と読むが、「礼楽」の「楽」は「ガク」、「驕楽」・「宴楽」の「楽」は「ラク」と読むことになる。 []
  5. 王力 (1900-1986) は中国の言語学者で、中国語を主に通時的な観点から研究した。 []
  6. 先に述べたように、『論語集注』では「五教反」(=「『五』と『教』を合わせた音」)としている。実は、「五」と「教」の音を現代中国語音で組み合わせると、“yào”という答えが出てくるのである。つまり、旧読の“yào”は『論語集注』の「五教反」という注と一貫しているのである。 []
  7. 例えば、常敬宇氏が2011年に書いた〈“乐山乐水”中“乐”的读音〉という文章にそのような指摘がある。 []
  8. 「樂」は「楽」の旧字。 []