学問における内輪の「秘儀」

概要
学問分野には「秘儀」と呼ばれるダメな研究手法がはびこる場合がある。このような手法を捨て去るのは非常に困難である。

はじめに

データ解析のための統計モデリング入門』という本を読んだ。色々な面で面白い統計書であった。中でも刺激的だったのは、いい加減なデータ解析の例を指摘しているところであった。そこで、ある種の(ダメな)データ解析を内輪の「秘儀」と呼んでいた。この「秘儀」という言葉に対して少し思うところがあったので、簡単に記してみたい。

なお、この文章の内容を簡単にまとめると、学問分野には「秘儀」と呼ばれるダメな研究手法がはびこる場合があり、これを除去するのは難しく、どうしようもならなくて困る、といったところになる。

内輪の「秘儀」とは?

冒頭で述べたように、この文章を書いているのは『データ解析のための統計モデリング入門』という本に刺激されたためである。この本の書誌情報を以下に記す。

なお、この本のレビューも書いたので、興味がある方はお読みいただければ幸いである。

この本は統計に関する教科書なのだが、既存のいい加減な統計処理を批判しているところが少なくない。例えば、1.2節で、データ解析で「理解しないままソフトウェアを使う」作法をブラックボックス統計学と呼び、これは擬似科学の作法であると指摘している。また、同じ1.2節で次のように述べている。

われわれは、かなり注意していても、 いともたやすくこのようなブラックボックス統計学、つまり一種の自己欺瞞におちいります。つまり、理屈にあわない方法 が次々と発明されます。さらに、研究者の小集団には共同幻想を胚胎・維持する機能があるので、たとえば、ある学問分野のさらに細分化された領域の「内輪」 だけで使われるデータ解析「秘儀」が継承されたりします。

久保 (2012:5)

この言葉は、まさに頂門の一鍼 [1] であると言えよう。ここで言う「秘儀」が問題なのである。

上記の引用文での「秘儀」は統計のことが念頭に置かれているが、こうした「秘儀」は統計に限られるものではない。「秘儀」を私の言葉で定義し直すと次のようになるだろう。「秘儀」とは、ある学問分野の中のみで通用する研究手法で、客観的な正統性に欠け、その分野に参加する者がメカニズムを理解していない研究手法のことである。つまり、「秘儀」は以下の3点から成り立つ。

少し抽象的な話になってしまったので、1つ寓話を使って説明してみたい。例えば、あなたがある化学の研究室に配属されたとしよう。その研究室では新しい化合物を見つけようとしている。それで、あなたは研究室の先輩から研究の方法を教えてもらうことになった。

先輩曰く、「なに、研究と言ってもそんなに難しいものではないさ。ちゃんと手順を追えばなんとかなるものだ」と。そして先輩は、薬棚から薬品の瓶を取り出す。「あのう、薬品はどう選べば良いんですか?」とあなたは問う。「選ぶ? そんなものは適当で良いんだよ」との返事。「えっ、そんなんで良いんですか?」とあなたはびっくりする。「良いんだよ。昔からそうしてきたからな」と先輩が言う。「昔からそうしてきた」と言われると、半人前のあなたは反論できない。

先輩が大きな黒い箱を取りだしてきた。「この箱は何ですか」とあなたは問う。「ああ、これにさっきの薬品を入れるんだ」と先輩は言い、薬品を手当たり次第箱にどばどばとつぎ込んだ。「こんなに一気に入れて危なくないんですか、爆発とかしないんですか」とあなたは心配そうな顔で先輩に聞く。「大丈夫だよ。こうしても、今まで何にも問題がなかったからな」との返事。「今まで何にも問題がなかった」と言われると、半熟卵のあなたは反論できない。

さて、先輩が黒い布を先ほどの箱にかぶせ、「スンポロッピン、クインドリクー、オロニンルルン」と何やら呪文のようなものを唱え始めた。「あのう、すみません」とあなたは問う。「君はいちいち質問が多いな。せっかく呪文を唱えていたのに」と不機嫌そうな顔で答える先輩。「いえ、それ、呪文なんですか? どういう意味があるんですか」と聞くあなた。「意味? そんなもの知らないよ。意味なんて知っても仕方がないだろう?」と先輩は言った。「えっ、意味も分からずにやっていたのですか?」とびっくりするあなた。「いちいち意味を考えていたら、いつまでたっても始まらないよ。どうやら君は細かいところを気にしすぎるようだ」と半ばあきれた様子で先輩はあなたに対して言った。「ともかく、これで今までうまくいってきたんだ。意味なんかを考える暇があるのなら、先に手を動かしたらどうだい?」と先輩。「本当にこれでうまくいくんですか?」とあなた。「なんだ、疑っているのか? ちゃんと呪文を唱えれば、次の朝になれば何か結果が出ているはずさ。今までずっとそうだった。」と先輩は言い、呪文の続きを唱え始めた。

つまり、この化学研究室では、黒い箱に適当に薬品を入れたり、呪文を唱えたりすることが、内輪の「秘儀」として存在しているのである。端から見ると奇異なのだが、当人達はこれで研究の目的が達成できると思い込んでいるのだ。この例は極端に過ぎるかもしれない。だが、程度の差こそあれ、こうした「秘儀」は実際に存在している。

データ解析と関わらせて言えば、黒い箱に適当に薬品を入れる代わりに、統計ソフトに適当にデータをつぎ込む人がいるのである。呪文を唱える代わりに、「とにかく p値が0.05になりますように、とにかく有意差がでますように」と唱える人がいるのである。どことは言わないが、言語研究周りでも、内輪にしか通用しないデータ解析の「秘儀」を濫用している例がある。

「秘儀」は消えない

多くの場合、内輪の「秘儀」は、その内輪の中で広まっているがために、その「秘儀」を捨てようという運動は起きえない。かくして、「秘儀」は正統性を欠くまま、継承され続けるのである。

内輪だけというのは実にたちが悪いことなのだ。内輪に対しては同調圧力をかけ、外部に対しては指摘を封殺するのである。

そもそも、内輪では「秘儀」が当たり前すぎて、それ以外の手法があるということに気づきにくい。また、内輪で「秘儀」に対して疑問に思う人が出てきたとしても、「今まで問題がなかった」と言って取り合わないということが起きうる。手法を変えるというのは相当エネルギーがいることなのだ。「秘儀」を捨てて、新しい手法に乗り換えるということは非常に面倒なことである。それぐらいならば、「秘儀」を使い続けた方が楽だと思う人がたくさんいても不思議ではない。第一、新しい手法の方が良いという保証は全くないのだから。

内輪に比べれば、外部の人間の方が「秘儀」の異常性に気づきやすそうである。しかし、外部の人間は「秘儀」解消の特効薬にはならない。外部から「秘儀」がおかしいという指摘があった場合、素直に外部の指摘に応じてやり方を変えることができたらそれに越したことはない。だが、「これがうちの分野の作法なのです」と言って外部からの批判を事実上黙殺する場合もありうる。「だって、あなたはうちの分野について詳しく知らないでしょう? 餅は餅屋ということで、専門家の意見を尊重すべきですよ」と言われると外部の人間にとってはどうしようもない。外部の人間にとっては、王様が裸であるように見えるのだが、「これは馬鹿には見えない服なんですよ」と言われてしまうがごときである。

どうしたら良いのか?

では、「秘儀」を捨て去るにはどうすれば良いのだろうか。私からの答えは簡単だ。「どうしようもならない」との一言で済む。なかなか捨て去る方法がないというのが、「秘儀」の「秘儀」たるゆえんなのかもしれない。

正直、「秘儀」に引っかからないようにみんなで注意していこうといった程度の発想しか私には思いつかない。とは言っても、そんなことで「秘儀」を捨て去ることができるのならば、「秘儀」は問題たりえないのである。と、明確な解決方法を出さないまま、つたない雑文を終えたいと思う。

脚注
  1. 「頂門の一鍼」(ちょうもん の いっしん)とは、急所をついた厳しい戒めのことである。 []