農耕の開始によって言語が圧殺された

概要
世界的に見ると、広い地域にわずかな言語しかない場合と、狭い地域に多くの言語がある場合がある。このような地域による言語の密度は、ジャレド・ダイアモンドによれば農耕の誕生と関連しているという。ダイアモンドの説を題材に、農耕を獲得した人々の言語が他の言語を圧殺していった過程を見る。

はじめに

世界には様々な言語がある。世界にどれだけの言語があるのか正確に測った統計は無いのが、数千の言語があることは確実である。ただし、地球上に言語がたくさんあると言っても、その分布は実は偏っている。つまり、言語の密度は地域によって異なる。狭い地域に多くの言語が集中している場合もあるし、広い地域に少ししか言語がないという場合もあるのだ。

それでは、なぜ地域によって言語の密度が違うのだろうか。ジャレド・ダイアモンド(Jared Diamond)によれば、言語の密度の違いは、農耕の誕生と関連しているという。ダイアモンドの説では、新石器時代に農耕を獲得した人々の言語が、獲得しなかった人の言語を圧殺することで、言語が種類が少ない地域が生まれたとされる。今日は、ジャレド・ダイアモンドの以下の論文を題材に、地域による言語の密度の違いの問題を考えていきたい。

日本列島の言語の種類は少ない

日本列島は言語の種類が多い地域だろうか、それとも少ない地域だろうか。

先日、「日本列島には何種類の言語があるか―列島の様々な言語」という記事を書いた。その記事で、Ethnologue (世界にどんな言語があるかをまとめたデータ集)では日本には15の言語があると紹介した。15もあるとは多いと思った人もいるかもしれないが、15という数は決して多くない。

実際に、日本に比べてずっと色々な言語が話されている国もある。例えば、Ethnologue によれば、オーストラリアの北にあるパプアニューギニアという国では、830もの言語が話されている。日本の外務省のウェブサイトの「各国・地域情勢」によると、パプアニューギニアは、日本より少し広い(46.2万平方キロメートルで、日本の約1.25倍)が、人口は日本よりずっと少ない(2009年時点で673万人)。それにも関わらず、パプアニューギニアでは、日本よりずっと多くの種類の言語が話されている。

パプアニューギニアの位置を示した地図
パプアニューギニアの位置を示した地図(Wikimedia CommonsからのRei-artur氏によるCC BY-SA 3.0画像)

また、Ethnologue が挙げる日本の15の言語のうち、12は同系統である(日本語・喜界語・北奄美語・南奄美語・徳之島語・沖永良部語・与論語・国頭語・中部沖縄語・宮古語・八重山語・与那国語)。系統に着目すると、日本の言語はより単純になる。日本語と同系統の言語が列島のほとんどを覆い、わずかに先住民族の言語としてアイヌ語などが残るだけなのである。

パプアニューギニアは状況が全く異なる。パプアニューギニアでは、言語が系統的に無関係である場合が多い。パプアニューギニアは、言語の数で言っても種類が多いし、言語の系統の数で言っても種類が多いのだ。

ここで、以下のような疑問が生まれてくる。

  1. 日本のように言語の(系統の)種類が限られている地域は他にあるだろうか?
  2. 日本のように言語の(系統の)種類が少ないのが普通なのだろうか? それともパプアニューギニアのようにたくさんあるのが普通なのだろうか?
  3. なぜ、言語の(系統の)種類が限られている地域とそうでない地域があるのだろうか?

以下で、これらの疑問について考えていきたい。

言語の少ない地域と多い地域

日本のように言語の種類が限られている地域は他にあるだろうか。

西ヨーロッパは、言語が多様でない地域の1つである。こう言うと、西ヨーロッパにはフランス語・イタリア語・英語・ドイツ語と様々な言語があるではないかと、いぶかしむ人もいるかもしれない。しかし、実は西ヨーロッパで話されている言語のほとんどは、インド・ヨーロッパ語族と呼ばれる同じ系統の言語である。つまり、かつては1つの言語だったものが、長い時間をかけて、多くの言語に分かれていったと考えられる。先ほど挙げたフランス語・イタリア語・英語・ドイツ語はみなインド・ヨーロッパ語族の言語である。要するに、西ヨーロッパの言語のほとんどは、インド・ヨーロッパ語族という先祖を同じくする親戚同士なのだ。西ヨーロッパの土着の言語でインド・ヨーロッパ語族以外の言語はあるかと言えば、一応1つだけある。それは、スペインとフランスの国境地帯に存在するバスク語である。バスク語は、系統が不明で、周囲のインド・ヨーロッパ語族の言語とは親族関係がないと考えられている。

バスク語が話されている地域
バスク語が話されている地域(Wikimedia CommonsからのEddo氏によるCC BY-SA 3.0画像)

いずれにせよ、西ヨーロッパは、言語的に言えば、インド・ヨーロッパ語族とバスク語の2つのグループしか存在しないのだ。

インドは多数の公用語があることで知られているが、この地も実は言語的にあまり多様でない。北インドのほとんどの言語は、インド・ヨーロッパ語族の言語であり、南インドのほとんどの言語は、ドラヴィダ語族の言語である。つまり、たくさん言語があっても、ほとんどがインド・ヨーロッパ語族とドラヴィダ語族という2つのグループにまとめられる。

西ヨーロッパやインドに限らず、旧世界の言語はあまり多様でない。現在の言語数で言えばそれほど少なくないのだが、親戚同士の言語が多いので、系統の数で言うと少ないのだ。

それでは、他の地域はどうだろうか。先ほど述べたように、パプアニューギニアは、言語の系統の数が多い。近くで話されている言語が系統的に無関係と言うことがざらにある。なお、ニューギニア島の西半分はインドネシア領となっているが、このニューギニア島の西半分も、パプアニューギニアと同じように言語的に多様な地域である。ニューギニア島の南にあるオーストラリアも言語的に多様な地域である。イギリスの植民者が来るまでは、様々なアボリジニの言語が用いられていた。これらの言語は、互いに違う系統に属していることが多く、ほとんどが系統的に孤立している。南北アメリカ大陸も、オーストラリアと似て、ヨーロッパの植民者が来るまでは、様々な先住民の言語が用いられていた。これらの先住民の言語も、系統的に孤立していることが多い。

結局、世界には言語が系統的な意味で少ない地域と多い地域がある。それでは、少ない地域と多い地域のどちらが、昔からある形態なのだろうか。

本来の言語の状態はどちらか

最後の氷河期が終わったのはおよそ1万2千年前である。このころの人類は世界のどこでも狩猟採集生活を営んでいた。そして、現代の人類と同じように言語を話していた。この氷河期が終わった時代の人類社会の言語の状況はどうなっていたと考えられるだろうか。ジャレド・ダイアモンドは、当時は現在のニューギニアやカリフォルニアのように、様々な言語が話されていたと考えている。ニューギニアやカリフォルニアの先住民の社会は、氷河期終了直後の原始社会と同じように、人口密度が希薄で、単純な生活を送っていた。だから、氷河期終了直後の原始社会は、現在のニューギニアやカリフォルニアのように様々な言語が使われていたと考えるのが妥当であろう。

さらに、現在の同系統といわれている言語は、遠い昔は同じ言語だったと考えられる。人間でも、遠い親戚でも先祖をたどっていけば、同一人物にたどり着くのと同じである。ところで、今、旧世界には、16種類の言語系統がある。とすると、遠い昔には、16種類しか言語がなかったということになる。これは少なすぎていかにもおかしい。だから、旧世界にも、現在のニューギニアと同じように多種多様な言語があったと考えるのが妥当だろうと、ダイアモンドは考えた。なお、ダイアモンドは1種類の言語系統につき、その祖先は1つしかないと考えているようだが、これは必ずしも真ではない。確かに比較言語学の手法を用いると、1つの言語系統に属する様々な言語から、1つの祖先(祖語)を再構築することができる。だが、この祖先は理論的に再構築されたものであって、理論上の存在がそのまま過去に存在していたということを示すわけではない。

結局、人類社会では、様々な(系統的に無関係な)言語が使われているのが、通常の状態であると、ダイアモンドは考えたのである。

農耕の獲得と言語の拡張

しかし、本来は様々な言語が使われていたとすると、1つの疑問が生じてくる。なぜ現代のユーラシア大陸は、言語的に単純な状況になってしまったのだろうか。この疑問に対する鍵は、農耕技術の獲得である。

蒸気を用いたロードローラー
蒸気を用いたロードローラー(Wikimedia CommonsからのDezidor氏によるCC BY 3.0画像)

氷河期の頃は、人類はすべて狩猟採集で生活の糧を得ていた。ところが、氷河期が終わると、一部の集団が農耕技術を獲得するようになる。農耕技術を獲得した 集団は、他の狩猟採集生活を送る集団に比べ優位に立つ。そして、最終的には農耕技術を持つ集団が拡大し、その集団の言語も広まることとなる。優位な集団の言語が拡大することで、その地域の言語はがらっと入れ替わることになる。結局、ユーラシア大陸を中心に起こったのは、農耕技術を持つ有力な集団が他の集団を圧殺したことである。今回紹介しているジャレド・ダイアモンドの論文のタイトルは、“The language steamrollers”、すなわち言語のロードローラーである。ロードローラーとは、地面を押し固めるために使う重機である。圧倒的な力を持った言語が他の言語を圧殺する状況を、ロードローラーが地面を押しつぶす様子でたとえているのだ。

旧世界で農耕が発生した場所は、中東と中国が挙げられる。そして、現在の旧世界に広まっている言語は、もともと中東や中国で話されていた言語の子孫である。もともと中東で話されていた言語はインド・ヨーロッパ語族やアフロ・アジア語族(アラビア語やヘブライ語など)の祖先(祖語)が挙げられる。なお、ジャレド・ダイアモンドは論文の中でインド・ヨーロッパ語族の祖先が中東にあったとさらっと書いているが、実際にはインド・ヨーロッパ語族がもともとどこの言語であったのかについては今なお論争がある。また、もともと中国で話されていた言語としては、シナ・チベット語族(中国語やビルマ語)やオーストロネシア語族(ハワイ語やマオリ語)の祖先(祖語)が挙げられる。

旧世界では、このように圧倒的な力を持つ言語だけが生き残り、そうでない言語はほとんど消え去ったのである。「ほとんど」消え去ったと書いたのには理由があって、残存していると見られる言語もある。例えば、西ヨーロッパでは、バスク語だけがインド・ヨーロッパ語族ではなく、この言語はインド・ヨーロッパ語族のロードローラーにつぶされずに残存した言語であるのかもしれない。日本の状況も似たようなことがある。日本列島では、日本語と同系統の言語がほとんどであるが、アイヌ語が絶滅寸前とはいえ、残存している。アイヌ語は日本語と全く違う系統であり、アイヌ語は日本語というロードローラーの圧殺に耐えた言語として捉えることができるかもしれない。ただし、アイヌ人はかつては農業も行っていたし、北海道・樺太・千島とかなり広い地域に分布していたので、かつてはアイヌ語自身がロードローラーであった可能性も否定できない。

なお、農耕を自ら始めたわけではないが、他から農耕技術をいち早く導入したために広まった言語もある。例えば、サハラ以南のアフリカでは、ニジェール・コンゴ語族(現代の言語で言えばスワヒリ語など)に属する人たちが、農業技術を取り入れ、北の方からアフリカ中に広まった。

もちろん、農耕技術を獲得したといっても、その技術革新が周囲の他の集団を圧倒できなければ、言語はさほど広まらない。アメリカ大陸では、コロンブスの到達以前に、いくつかの地域で農耕技術が発見されている。それにも関わらず、アメリカ大陸がユーラシア大陸のように言語が少ない地域にならなかったのには理由がある。ダイアモンドはこのことに対し、2つの理由を挙げている。

1つ目の理由としては、アメリカ大陸が南北に細長いことが挙げられる。東西方向に移動する場合、気候はそれほど変わらない。しかし、南北方向に移動する場合は、気候が大きく変わる。農業は気候に左右されるから、南北方向に移動する場合は、農業のやり方を色々と変えなくてはならない。結果として、農業技術を知っていても南北方向に拡張するのは困難であるのだ。ユーラシア大陸はどちらかと言えば、東西方向に細長いので、農業技術を持った集団としては移住しやすくなる。このため、ユーラシア大陸は言語的に希薄となったのだ。

2つ目の理由は、アメリカ大陸の農業では、有用な家畜が生み出されなかったことである。ユーラシア大陸では、ウシやウマなど、有用な家畜が多数生み出されている。こういった家畜があると、農業の効率は更によくなり、周囲の狩猟採集民を圧倒することができる。しかし、アメリカ大陸では有用な家畜がなかったため、農業生活を選択することは、狩猟採集生活でいることに比べてさほどメリットのないことになってしまった。このため、農業技術を持った集団は拡張せず、その集団の言語も拡張しなかったというわけである。

なお、ニューギニア高地も実は農業発祥の地の1つだが、熱帯雨林が多いことなどから、移動がしづらかったため、ある言語を話す集団が他の言語集団を圧倒する事態には陥らなかったとダイアモンドは説明する。