はじめに
日本列島に何種類の言語があるか考えてみたことはあるだろうか。人によっては、日本で話されている言語は日本語しかないと思っているかもしれない。ちょっとものを知っている人だと、日本列島にはアイヌ語という日本語とは全く違う言語があることを思い出すかもしれない。あるいは、街角で聞く英語や中国語といった外国語のことを考える人もいるかもしれない。
実は、何種類の言語があるのかをはっきりさせるのは非常に難しい問題なのだが、ここでは少し、日本列島にはどんな言語があるかを考えてみたい。
日本列島の言語≠日本語
小学生ぐらいまでの子どもに、ちょっとしたクイズに答えてもらう場合を考えてもらいたい。
これは個人的な経験から言うのだが、日本の子どもは、上記のように、とりあえず国名に「語」を付けて答える場合が多い。もちろん「アメリカ語」という言語はないのだが、子どもは「アメリカ語」と答えてしまうのだ。なぜ、「アメリカ語」のように答えてしまうのだろうか? まずは、ドイツ―ドイツ語、フランス―フランス語というパターンに引っかかって、アメリカ―アメリカ語と答えてしまったと考えられる。つまり、国名と言語名が必ずペアになると考えてしまったから、「アメリカ語」という珍妙なものを答えてしまったのだ。
国名と言語名がペアになるという考えを推し進めると、国家の境界と言語の境界が合致するということになる。つまり、1つの国家には1つの言語が対応し、1つの言語には1つの国家が対応するということだ。
言語と国家は必ず一対一対応すると考えるのは明らかに間違っている。例えば、英語は、イギリス・アメリカ・カナダなど複数の国で用いられている。逆に、ベルギーというヨーロッパの国では、オランダ語・フランス語など複数の言語が用いられている。「ベルギー語」というものは存在しないのだ。
つまり、1つの言語が複数の国で用いられることもあるし、1つの国の中で複数の言語が用いられることもあるのだ。むしろ、こういった場合の方が普通である。
これは、日本についても同じだ。日本で話されている言語は日本語だけではなく、様々なものがある。ややもすると、日本には日本語しかないと考えられがちだが、実は日本には日本語以外の言語もあるのだ。
何を言語とするか
何を独立した言語と見なすかは難しい問題をはらんでいる。これと関連する問題として、ある言葉を独立した言語と扱うべきなのか、方言と見なすべきなのかということもある。言語か方言かの決定は、言語学だけではっきりするものではない。実際には政治的背景やアイデンティティーの問題が絡んでくる。
例えば、北欧のデンマーク・ノルウェー・スウェーデンの3国の言語は互いに似ており、相互に理解ができる。しかし、国境があるために、デンマーク語、ノルウェー語、スウェーデン語と独立した言語として扱われることが多い。しかし、こう独立させなくても、北欧語の方言として、デンマーク方言・ノルウェー方言・スウェーデン方言があると言っても良い。結局、ここで独立した言語として扱う理由の1つとして、国家のアイデンティティーを満たすという側面があるのだ。
同じ日本語と言っても、東京の言葉と大阪の言葉ではかなり違う。津軽や鹿児島の言葉となると、日本語の共通語からは全く違う言語のように聞こえる場合がある。普通、東京・大阪・津軽・鹿児島といった地域による言葉の違いは、「方言」として取り扱われることが多い。だが、別に方言でなく、それぞれを独立した言語と考えても良い。例えば、東京語と大阪語とは別の言語だと言っても良い。
要するに、どこまでを1つの言語の方言と見なし、どこからを別々の言語と見なすかについての境界線はかなり恣意的に決まっている。そして、何をもって独立した言語と考えるかについて、一定の基準はない。だから、冒頭に述べた日本に何種類の言語があるかという質問は実はナンセンスなのだ。
Ethnologue の場合
先ほど、何種類の言語があるかはナンセンスと言ったが、それでも敢えて言語の数を挙げるということもできる。例えば、Ethnologue という世界にどんな言語があるかをまとめたデータ集がある。このEthnologue によれば、日本には以下の15の言語があるとされる。
- アイヌ語
- 日本語
- 喜界語
- 北奄美語
- 南奄美語
- 徳之島語
- 沖永良部語
- 与論語
- 国頭語
- 中部沖縄語
- 宮古語
- 八重山語
- 与那国語
- 日本手話
- 朝鮮語
さて、以下で、日本列島にある諸言語について簡単に解説を加えていきたいと思う。
アイヌ語
アイヌ語は、北海道の先住民族であるアイヌによって話されている言語である。母語話者数はおそらく数人とみられ、絶滅の危機に瀕している。かつては、北海道・樺太・千島列島といった広い範囲で話されていたが、樺太・千島列島のアイヌ語話者はすでにいなくなってしまった。今残っているのは北海道の話者である。
「トナカイ」や「ラッコ」という動物の名前は、アイヌ語から日本語に借用されたものである。また、北海道の地名にはアイヌ語由来のものが少なくない。例えば、稚内(わっかない)は、アイヌ語の「ヤム・ワッカ・ナイ」(冷たい飲み水の沢)から来ている。
アイヌ語は、系統が不明な言語の1つである。日本語と同系統だという説も存在するが、この説を支持する人は少ない。
(狭義の)日本語
日本語は、特に詳しく説明する必要は無いだろう。次に述べる南西諸島や八丈島などの言葉も含めて日本語と見なすこともできるし、これらの島々の言葉を別にした本土の諸方言だけを日本語と見なすこともできる。逆に、西日本と東日本はかなりの方言差があるので、西日本語と東日本語と独立させて考えても良い。もっとも、先に述べたように、独立した言語とするか方言とするかは程度の問題なので、それほど気にすべきことではない。
南西諸島の諸言語
先ほどの Ethnologue の分類によれば、北の方から順に、喜界語・北奄美語・南奄美語・徳之島語・沖永良部語・与論語・国頭語・中部沖縄語・宮古語・八重山語・与那国語が南西諸島で話されている言語である。南西諸島全域で同じ言語が話されているというわけではなく、島ごとに独特の言語があるのだ。
なお、本土の日本語と南西諸島の諸言語は全く無関係というわけではない。南西諸島の諸言語は、日本語と同じ系統の言語である。系統が同じとはどういうことかと言えば、先祖をたどっていくと、1つの言語にたどりつくということである。逆から見ると、かつては1つの言語だったものが、長い時間をかけて複数の言語に分かれていったと考えられる。つまり、かつては一緒だったのだが長い時間をかけて、日本語、喜界語、徳之島語、与那国語などに分かれていったと考えられるのだ。
南西諸島の諸言語を日本語の方言と見なす立場からは、これらを琉球方言と呼ぶ。独立した諸言語であることを強調するために、琉球諸語(Ryukyuan Languages)と呼ぶこともある。
八丈語
八丈島は、伊豆諸島で最も南にある有人島である。ここの土着の言語は本土の日本語とはかなり違い、奈良時代の東国の言語の特徴を今に残していると言われている。
例えば、2009年2月20日の朝日新聞(東京本社版、夕刊1面)の記事では、見出しに「八丈語? 世界2500言語、消滅危機 日本は8語対象」とかかげている。他の地域の方言に比べ、本土との差が激しいので、別個に独立させたのであろう。
小笠原諸島の言語
小笠原諸島は、昔から日本の領土であったわけではない。正式に日本の領土となったのは、明治に入ってからで1876年である。それよりも早く、1830年には、ラセニエル・セボレーが率いる欧米系の住民が小笠原諸島に入植している。ラセニエル・セボレーらのグループは、英米人とハワイの先住民からなるグループであった。入植当初は、おそらく英語にハワイの言葉などがまじったような言語が使われていたと想定できる。その後、八丈島からの移民も来島し、八丈語の要素も混ざることになる。こうやって、各地の言語が入り交じることで、小笠原諸島特有の言語が生じてくる。
なお、小笠原の言語については、ダニエル・ロングという研究者が、「小笠原諸島における言語接触の歴史」という文章をウェブ上で公開しているので、それを参考にされたい。
日本手話
日本手話は、主に聾者(耳が聞こえない人)が使っている言語である。
手話は言語ではないと思い込んでいる人も少なくないだろうが、手話だって言語である。手話は「普通の言語」と情報を伝達する媒体が違うだけである。日本語や英語などは音声を媒体とするが、日本手話などは音声の代わりに手の動きなどを媒体とするのである。世界共通というわけではない。
日本手話は、日本語の音声を単に手振りに置き換えたものではない。日本手話と日本語は、文法も全然違う。 [1]
外来の諸言語
今まで紹介した言語は、日本列島土着の言語である。この他に、日本には、主に近代以降に入ってきた言語がある。例えば、朝鮮語は、在日朝鮮人によって話される言語であり、近代になってから朝鮮半島から持ち込まれた言語である。
- 2020年1月28日:日本手話の語順に関する不適切な記述を削除。 [↩]