権力者といえども文法は左右できない

概要
権力者が文法を左右しようとしてたしなめられた逸話を2件紹介。

はじめに

かつて小説家の井上ひさしは、日本の政治家が漢字の字形を変えようとしたことに関し、『私家版日本語文法』の中で以下のように述べたことがある。

「政治家よ、字をいじるな。票でもいじっていろ」

『私家版日本語文法』所収「漢字とローマ字」

つまりは言葉をいじるのは権力者のすることではないと言いたかったのだろう。

ところで、権力者が言葉をいじろうとした例は過去にも見られる。今回は権力者がその権力をもって言葉を変えようとしてうまくいかなかった事例を2つ紹介したいと思う。

皇帝は文法家の上にあらず

1414年に始まったコンスタンツ公会議のときの話である。 時の神聖ローマ帝国の皇帝ジギスムントが演説した際に、schisma という名詞 [1] を女性名詞として使ってしまった。しかし、この schisma という名詞は中性名詞である。

このため、ある人が皇帝に対して、文法的に誤っていると指摘した。すると、皇帝ジギスムントは、 schisma を中性名詞でなく女性名詞にせよと命令しようとした [2] 。この無茶な命令に対して言われたのが以下の言葉である。

Caesar non supra grammaticos. (訳:皇帝は文法家の上にあらず)

結果として、今も schisma は中性名詞のまま残っている。

アルブレヒト・デューラーによる皇帝ジギスムントの肖像画。この絵はジギスムントの死後に描かれたものである。
アルブレヒト・デューラーによる皇帝ジギスムントの肖像画 [3] 。この絵はジギスムントの死後に描かれたものである。

皇帝は言葉に市民権をあたうることあたわず

もう1つ似たような話を挙げよう。ローマの歴史家スエトニウス (Gaius Suetonius Tranquillus) が『文法家列伝』(De grammaticis) [4] に次のような話を載せている。

1世紀のローマの皇帝ティベリウス (Tiberius) の演説に言葉の誤用があった。法律家のカピト (Gaius Ateius Capito) は、この誤用はラテン語として問題ないだろうし、そうでなければ今から正しいものであるようにすれば良いと述べた。これに対して、文法家のマルケルス (Marcus Pomponius Marcellus) は、カピトに反論して次のように述べた。

[T]u enim, Caesar, civitatem dare potes hominibus, verbo non potes.(訳:皇帝よ、貴方は市民権を人々に与えることができますが、言葉に〔与えること〕はできませぬ。)

要するに、皇帝は市民権を与えるという法的な行為を行うことはできるが、ある言葉が誤用かそうでないかを決めることはできないということである。文法は政治権力の埒外らちがいということなのだ。

関連情報

脚注
  1. schisma は教会組織の分裂のことを指す。当時、複数の教皇が存在しており、カトリック教会は分裂していた。 []
  2. Krug, W. T. (1832). Allgemeines Handworterbuch der philosophischen Wissenschaften, nebst ihrer Literatur und Geschichte. Leipzig: F. A. Brockhaus. p.418 []
  3. Wikimedia Commons からのパブリックドメイン画像を使用。 []
  4. Wikisource に英訳がある。 []