文系博士後期課程院生の就活から3年

概要
就職してから3年経った時点の経験をもとに、文系博士後期課程院生の就活を振り返ってみた文章。

はじめに

はてな文化圏あたりだと、年度末にあたって退職エントリを書くという季節なんだろうけれども、幸か不幸か3月末に退職するということはない。まあ、「五斗米のために腰を折ってられるか! おれは家に帰るぞ!」と言えるようなご身分 [1] ではないので、そう簡単に辞められないんだけれども。とは言え、退職エントリでなかったとしても、年度が切り替わるこの時期は色々と振り返りをするのにちょうど良い時期だろう。

ところで、ちょうど3年前、このブログに「文系博士後期課程院生の就活」という記事を書いた。これは、文系の博士後期課程の院生だった私が、民間の一般企業などへの就職活動をしたときの経験を書いたものである。このブログに載せた文章の中でもわりと反響があった記事であった。

で、その就活を経て2013年の4月に就職してからちょうど3年経ったのだ。まあ3年も経てば色々見えてくるものがある。昔の中国の学者は3年で一芸に通じた [2] とかいうぐらいなので、と言うわけで、そこで、文系博士後期課程院生がアカデミックポスト以外への職に就くことについてここ3年の自分の経験を踏まえて色々と書いてみたいと思う。

念のため言っておくと、これは個人の感じたことをつらつら書いたに過ぎない。それが他の人に当てはまるとは限らないし、他のことに必ずしも応用できるわけではない。まあ、要するに、そんなに本気にならずに、軽い気持ちで読んでよ、ということだ。

博士後期課程院生の強みを活かす

大学院生やポスドクが就職するときに強みになるのが、研究で身につけた論理的思考力や課題解決能力などであると、わりとよく言われている。例えば、大学院生やポスドクの就職を支援しているアカリクが編んだ『大学院生、ポストドクターのための就職活動マニュアル』という本 [3] には、大学院で鍛えられる「コア能力」の例として以下のものを挙げている (p.18) 。

で、前述の本では、こういった基礎能力があることをうまく生かすことができると良いよねといったことが言われている。

実は、就職活動中は、「論理的思考力が強みになる」とかそういう言説はあんまり信じていなかった [4] 。信じていなかったというよりも、信じるに足るか判断できなかったというのが正確だろうか。その辺のことが本当に強みになるか経験が少なすぎて当時は判断できなかったのだ。

今の時点では、確かに研究で身につけた論理的思考力や課題解決能力などが仕事の現場で役に立っていると思う。実際に仕事をするときに大学院で身につけた能力を活かせば、だいぶ楽に仕事ができる。そして、その意味で、大学院での研究で身につけた力が、就職に役立つと言えるだろう。

例えば、何か新しい企画を立てるときには、色々と下調べをすることになると思う。大学院での研究では先行研究をあたってそれを整理していくということになるんだけれども、企業内の業務でも先行するものを調べて整理することが必要になる。

元博士院生はたとえ専門が違ったとしても研究での経験を活かして、割と効率的に情報を集めることができる。大学院での研究でも先行研究をやみくもに集めるのではなく、色々な手掛かりを元に信頼できるかを判断して取捨選択することがあるだろう。それと同じことが企業内の業務でも活かせた。たとえ専門外の話であっても、表面的な事実を追うだけである程度の信頼性の判断はできる。しっかりと査読されたものとそうでないものの信頼度が違うということはある程度推測できるし、データの集め方が悪いものは信頼できないということを判断できるだろう。こういったことがちゃんとできる人は世間には意外といないので、実際に元博士院生の強みということにはなるんだと思う。

もちろん、その辺が活かせる環境での仕事じゃないとだめなんだろうけれども。とはいえ、カイゼンの機会は色んなところにあるはずだ。自分の今いる場が能力を活かせないのであれば、活かせる環境に変えていこう。

いずれにせよ、研究で身につけた能力が強みになるという話は、まあ信じてもよいのではないかという気持ちに今はなっている。これから就活をしようとする博士後期課程の院生も、鰯の頭も信心という程度に信じて良いんじゃないだろうか。

あと、先ほど引いたアカリクの『大学院生、ポストドクターのための就職活動マニュアル』という本について一言。この記事を書くために読み直してみたのだけれども、非常に良くできている。タイトルの通り、大学院生やポスドクの人が就職活動するときに注意すべき点がはっきり書かれているのだ。こうした人が実際に就活を始める前に読むことをおすすめする。(ぶっちゃけた話、この記事読むよりもずっと役に立つと思うぞ。)

「専門を活かせる」は広めに考える

ちょっと話題を変えよう。

今から振り返ると、大学院の博士課程にいると、自分の専門というのをどうしても狭く感じてしまうところがあったように思える。その理由は簡単で、ある程度狭くしぼりこまないと博士論文が書けないからだ。今の学術の世界は、細分化されたうえで、そのそれぞれが非常に深いものになっているので、どこかにしぼりこまなければ、さらに深ぼりすることができないのだ。

その意味で、就職活動をしていた頃は、就職したとしても、自分の専門をどんぴしゃで活かせるとはあまり考えていなかった。せいぜい、少しでも関連する職場があれば良いなということぐらいだった。

だが、今からすると、院生時代の専門とは外れることをやっているものの、専門を活かしているなと感じることは多い。何というか、自分が専門であると捉えうる対象が広がったという感じだ。やはり院生の頃と違って、深ぼりが求められるというよりも、汎用性が求められるようになるから、それに応じて自分の捉え方も変わったということなんだろう。

対象が広がりうる例を1つ挙げよう。共産圏の政治、例えば現代中国政治を研究していた人が持っている技術として、共産党の要人の立ち位置の変化を見て、地位が落ちたかどうかということを判断するというものがある。この技術は、日本で普通に生活しているときには直接役立たないのだけれども、うまくやれば、他のことに転用することもできる。今年1月にSMAPの解散騒動が起き、SMAPは謝罪会見に追い込まれた。このとき、いつもはセンターにいるはずの中居正広氏が端に立たされていた。ここかた、共産圏政治分析の手法を使えば、この位置の変更からジャニーズ事務所内での位置づけを推察することができる [5] 。政治と芸能という違った分野の話だけれども、一度身につけたものが、ある程度汎用的に使えるということだ。

結局、逆算してものを言えば、博士後期課程の院生が就職するときには、専門から外れてしまうことに不安感を抱くかもしれないけれども、そんなに気にしなくて良いんじゃないかと思う。

相手の知識を推し量る

大学院にいたときと、今会社で仕事しているときで大きく違うことの1つとして、共有知識の量が違うということが挙げられると思う。大学院で、大体同じ分野を研究している人同士だと、研究の前提とかは大体みんな理解している。だけれども、ひとたびアカデミックな場を離れれば、そうではない。

就職したばかりのころは、一緒に仕事をしている人で共有できている知識が必ずしも多くないということに苦労した記憶がある。「このことは知っているだろう」と思っていると、意外とそれを知らないためにかみ合わないということがあった。その点、気をつけるようになって、だいぶ仕事が楽になったと思う。

相手の知識を推し量りながら仕事をすること
相手の知識を推し量りながら仕事をすること [6]

話は簡単で、相手の知識を推し量りながら仕事をすることが大事なのだ。相手が専門用語を言っていたとしても、その相手は日常語的な意味で言っているかもしれない。また、相手が職務で得てきた経験は、アカデミックな世界で言われていることと違うかもしれない。そういったことを気にしながら、相手とうまく付き合っていきたい。ただ、言うは易し、行うは難しなんだけれども。

とは言え、相手の知識を推し量りながら動く必要があるということを胸に刻みこむという態度があれば、結果はおのずからついてくると思う [7]

そう言えば、博士は世間的な意味でコミュニケーション能力がないという言説があるが、それって知識共有の程度が違うから起きる話じゃないだろうか。研究者同士だと共通知識が存在しているから余計なことを言わなくても通じるけれども、ひとたび共通知識が存在しない相手に遭遇するとコミュニケーションがうまくいかないとかね。

これは理系の例なんだけれども、物理学専攻で博士号をとった人で他分野に進出した人に調査をした報告 [8] がある。その調査報告で、被調査者が挙げた他分野で要する資質として、論理的思考力とコミュニケーション能力が出ている [9] 。面白いのは、被調査者は論理的思考力が研究で身につくのに対し、コミュニケーション能力は研究で身につかないと考えている点だ。ここで言うコミュニケーションというのはおそらく学会発表でのコミュニケーションとかそういうものではなくて、他分野で仕事をするときに周りの人とやりとりするときのことを指しているんだろう。まあ、結局のところ、共通知識が存在しない相手とのコミュニケーションは苦労するものなのだろう。

終わりに

全くまとまりのないまま、書くネタが尽きてしまったので、ここでとりあえずむりやり終わらせようと思う。

何やかんや書いてきたけれども、文系博士後期課程院生が学んできたことの中には、強みになるものがあるということだ。そこをうまく活かせるようにすれば、何とかなるんじゃないだろうか。まあ、強みとか言わなくても、世の中は意外と何とかなるものなので、前向きに生きよう。生きていれば大体何とかなる。

前に「文系博士後期課程院生の就活」という記事にも書いたように、もし、文系の博士の院生などで進路や就活について悩んでいる人がいたら、私で良ければお話しを聞きますので、ご遠慮なく連絡してください。悩んでばかりいてはしかたありませんから。

2018年12月22日追記:本記事は、「アカリク アドベントカレンダー2018」の22日目に掲載されました。このカレンダーには院生の就職に関する有用な記事が集まっているので、見てみると良いと思います。

脚注
  1. 中国の南北朝時代の隠逸詩人として知られる陶淵明が公職に就いたときに、ちょっとむかついたことがあって、「五斗の米という薄給のためにぺこぺこできるか!」と言って、即日辞職して帰郷したという話がある。 []
  2. 古代中国の『漢書』という歴史書の「芸文志」(当時の書籍目録のようなもの)に、昔の学者は3年で一芸に通じるものだったという話が載っている。 []
  3. アカリク.(2010). 『大学院生、ポストドクターのための就職活動マニュアル』東京:亜紀書房. []
  4. こうした言説を見聞きして「そうか、院生は論理的思考力が強みになるのかあ」とただ鵜呑みにする院生は、論理的思考力が本当に身についているか疑われるんではないだろうか。 []
  5. 一例として、【学問】今回のSMAPを材料に「クレムリノロジー」を覚えよう!…それってどんな学問なの?というTogetterまとめを参照されたい []
  6. Pixabayよりgeralt氏のパブリックドメイン画像を使用。 []
  7. そう言えば、さっきから「……と思う」とばかり言っている。でもここに書いていることは、あくまで個人的経験に根ざした感想レベルの話なので、何か一般化して言い切れるという話ではないので、「……と思う」という表現が一番しっくりくるのだ。 []
  8. 中村浩子.(2009). 「他分野へ進出した者の満足感」 国立教育政策研究所・日本物理学会キャリア支援センター〔編〕『ポストドクター問題――科学技術人材のキャリア形成と展望』(pp. 222-239) 京都:世界思想社. []
  9. 調査に回答した人が9人しかいないので、ここから色々とものをいうのは危険な気もするが。 []