工口な甲骨文字

概要
字形が工口である甲骨文字が存在する。

工口という字形の文字

現代の漢字の直接の祖先として甲骨文字というものがある。これは、中国の古代王朝であるで使われた文字である。

この甲骨文字の中に、後世の漢字で示せば、「𢀛」(「工」の下に「口」)に相当するものがある。なお、「𢀛」という字はうまく表示されない環境も多いだろうから、以下、この記事では単に「工口」と表記する。

工口は、甲骨文字では以下のような形で表される。

甲骨文字での工口(左)と、後世の漢字で工口を表したもの(右)
甲骨文字での工口(左)と、後世の漢字で工口を表したもの(右)

この甲骨文字の上の部分は後世の漢字の「工」に相当し、下の部分は「口」に相当する。だから、合わせると「𢀛」という形になるのだ。

だいだい色で示された上の部分は、後世の漢字の「工」に相当する。また、青色で示された下の部分は、後世の漢字の「口」に相当する。
だいだい色で示された上の部分は、後世の漢字の「工」に相当する。また、青色で示された下の部分は、後世の漢字の「口」に相当する。

歴史上の工口

さて、工口という甲骨文字はどのような意味の文字なのだろうか。この文字は、殷王朝に敵対した集団である「工口方」(𢀛方)を表すのに使われていた。なお、「方」とは甲骨文字で殷王朝に敵対する集団のことを指す。

殷王朝に敵対した集団は「人方」や「土方」などさまざまなものがあるが、その中で工口は最も脅威となった集団の1つであると考えられる。何しろ甲骨文字で書かれた記録の中で、工口は500回以上出現する [1] 。甲骨文字で書かれた記録には、殷が工口に攻め込んだ記録もあれば、殷が工口に攻められた記録もある。殷と工口は戦いを繰り広げていたのである。なお、工口は殷から見ると北西の方にあった勢力で、現在の陝西省あたりにあったと考えられる。

殷と工口との戦争が行われたのは、殷の武丁という王の時代であった。武丁の治世は紀元前13世紀の後半に相当すると考えられる。武丁は、分裂していた殷を再統一した王であると考えられる。武丁は精力的に戦争に携わり、工口を含む周辺の敵対勢力とさかんに戦った [2] 。そして、武丁は最終的に工口に勝利し、工口はなりをひそめた。

脚注
  1. 李発.(2011).〈有關商與方關係的甲骨刻辭之整理與研究〉 語言文字與文學詮釋國際學術研討會.http://www.gwz.fudan.edu.cn/srcshow.asp?src_id=1334 []
  2. 落合敦思.(2015).『殷——中国史最古の王朝』東京:中央公論新社. []