東京オリンピックのエンブレム問題とSTAP細胞問題に共通した構造

概要
東京オリンピックのエンブレム問題とSTAP細胞問題には、(1) 内輪を向いた専門的な業界人たち、(2) 肥大化する外部からの指摘、(3) 専門性を制御できない管理者という共通した構造がある。

はじめに

もめにもめていた東京オリンピックのエンブレムの問題が、一段落を迎えることになった。

2015年7月24日、東京オリンピック用のエンブレムとして佐野研二郎氏がデザインしたものが発表された。しかし、発表直後から、このエンブレムに類似したものが種々存在するとの指摘が相次ぎ、盗作ではないかという疑いまで抱かれるようになった。さらに、佐野氏の事務所が関わったサントリーのトートバックのデザインは、明白に他者の著作物引き写しているものであった [1] 。このようなことを受け、9月1日に東京オリンピック組織委員会は佐野氏のエンブレムを使用しないことを決定した [2]

私は、このエンブレム問題のニュースを見ていて、2014年に世の中を騒がせたSTAP細胞問題と似ていると感じた。

STAP細胞問題では、最初は生物学上の大発見と喧伝されていた。しかし、すぐにSTAP細胞は捏造ではないかという指摘があがった。さらに、STAP細胞を「作成」した小保方氏がかつて早稲田大学に提出した博士論文に剽窃が含まれることや、小保方氏の所属していた理化学研究所の運営が不透明だといったことが次々に発覚した。問題はSTAP細胞だけでなくさまざまな場所に飛び火することになったのだ。そして、最終的にSTAP細胞に関する論文は撤回され、理研や早稲田大学の権威は地に落ちた。

つまり、外部からの指摘によって次々に関係者が評判を落とすという流れが、STAP細胞問題とエンブレム問題とで非常に類似しているのである。

流れが似たことは偶然なのだろうか。私は偶然ではないと考える。思うに、エンブレム問題にせよSTAP細胞問題にせよ、共通する構造がある。以下、エンブレム問題とSTAP細胞問題について、構造の面から見ていきたいと思う。

問題の構造を規定する3つの要素

先に触れたように、エンブレム問題とSTAP細胞問題には似ているところがある。

これらの構造を規定する要素としては、以下の3つのものがあると考えられる。

  1. 内輪を向いた専門的な業界人たち
  2. 肥大化する外部からの指摘
  3. 専門性を制御できない管理者

次の表は、エンブレム問題とSTAP細胞問題について、構造を規定する3つの要素を具体的に記したものである。

問題の構造を規定する3つの要素
要素エンブレム問題STAP細胞問題
内輪を向いた専門的な業界人たちエンブレム審査委員会理化学研究所、早稲田大学
肥大化する外部からの指摘ネット上での問題提起などネット上での問題提起など
専門性を制御できない管理者組織委員会など理化学研究所の上層部、早稲田大学の上層部、文部科学省

これら3つの要素がどのような流れで問題を引き起こすのか簡単に述べておこう。

問題は、内輪を向いた専門的な業界人たちから始まる。この集団は、ある種の専門的な知見を持っていて、それなりの仕事をする能力はある。しかし、時としてうまく仕事ができないこともあるし、内輪の論理を優先させてしまって非合理的な選択をすることもある。

こうやって業界人たちが下手を打ったことに対し、外部から指摘が入る。外部からの指摘を内輪を向いた業界人は、最初のうちは無視したり、否定したりする。業界人を管理・監督する立場にある人たちは、事なかれ主義のもとで、外部からの指摘に対応しない。

そのうち、外部からの指摘がますます大きくなると、内輪を向いた業界人たちだけでは対処しきれなくなる。このような状況になると、この集団を管理・監督する立場の人たちも非難にさらされ、何らかの対応をせざるを得なくなる。しかし、この対応は往々にして失敗し、さらにひどい状況に陥るという形だ。

内輪を向いた専門的な業界人たち

閉ざされた内輪の世界。
閉ざされた内輪の世界 [3]

前に「学問における内輪の『秘儀』」という小文を書いたことがある。私はこの小文で、学術の世界において、外から見ると奇妙だが、内輪からするとおかしくないと考えられていることがあると指摘した。

学術の世界に限らず、専門的な知見を有する業界人が集まると、こういうことが発生しやすい。業界人たちは自分たちの中で共通の言語を持っている。しかし、この共通の言語というのは、往々にして業界の中でしか通じず、外からは理解しがたい。ただ、「うちの業界ではこうなっています」と言われると、業界の外にいる人はなんとも反論しにくい。

この閉ざされた内輪の世界に不正の生じる余地があるのだ。

肥大化する外部からの指摘

外部からの指摘は、最近はインターネット上から発生することが多い [4] 。何か問題が発生すると、一部の人がインターネット上で「あやしい」と述べる。さらに詳しく調べて、問題の本質をつかみ、それを公表する人も出てくる。インターネット上で盛り上がると、マスコミにも取り上げられるようになる。こうして、最初は小さかった外部からの指摘がだんだんと大きくなる。

指摘が大きくなる過程で、関連する箇所にも問題の火種が発見され、火がますます大きくなっていく。例えば、STAP細胞問題においては、最初は小保方氏が『ネイチャー』に発表した論文が問題とされていた。しかし、これと関連して小保方氏が早稲田大学で書いた博士論文を調べる人も出てきて、この博士論文にも重大な問題があることが分かった。最初は『ネイチャー』に載った論文が問題だったのが、最終的には早稲田大学の教育の欠陥ということも問題とされたのである。さながら、小さな雪玉を雪の降り積もった坂道の上から転がして、玉をますます大きくしていくようなものだ。

なお、外部で指摘をする人物には様々なタイプの人がいる。問題に対しての知見を十分に有する専門家が指摘をする場合もあるし、全くのしろうとが指摘をする場合もある。その指摘は正当な場合もあれば、無根拠な思いつきによる非難にしかならない場合もあるだろう。とは言え、正当かどうかに関わらず、指摘が積み重なるほど、雪玉はどんどん大きくなっていく。

専門性を制御できない管理者

制御できなくなり、やがて崩壊する。
制御できなくなり、やがて崩壊する [5]

さて、外部からの指摘が積み重なり、大きな雪玉がすべてをなぎ倒さんとする勢いで押し寄せてくる。内輪を向いた専門的な業界人たちはこの状況を止めることができない。そんなとき、最後に止められる可能性があるのが、業界人たちを管理・監督する立場にある人たちである。

管理者が、業界人たちの失敗を正し、外部からの指摘には丁寧に説明したり謝罪したりすれば、大きな雪玉は止まり、やがては溶けてなくなるだろう。しかし、それがなかなか難しい。

業界人たちの管理に当たる人は、同業界の人である場合とそうでない場合がある。例えば、STAP細胞問題において、理化学研究所の全体の管理にあたる理事長は、研究者の野依良治氏であった。野依氏は化学者なので、生命科学の業界とは離れているが、理系の研究者という広い意味では同業界の人と言える。同業界の場合は、業界人の内輪の事情が分かるので、業界人たちとうまく接することができる。だが、うまくやらないと内輪びいきになってしまって、外部からの指摘に耐えられなくなる。

逆に、業界人出身ではない人、例えば行政官や政治家が管理・監督に当たることもある。この場合、内輪とのしがらみがない分、業界人たちの内輪の論理に惑わされない可能性がある。だが、業界の内部事情にうといので、何が問題となっているのか正確に理解できず、結局は管理対象になっている業界人たちに丸投げしてしまうこともある。

管理者が同業界出身である場合は専門性を有しているがゆえに切り込むことができず、そうでない場合は専門性を有していないがゆえに切り込むことができない。いずれにせよ、専門性を制御することができず、最終的には崩壊するのである。

各所に存在する問題

今まで説明してきた構造は、東京オリンピックのエンブレム問題やSTAP細胞問題に限られたものではない。実は、様々な場所でこのような構造が存在している

記憶に新しいところでは、新国立競技場の費用が非常に高額になった問題も似たような構造をしている。新国立競技場の設計に当たっては、STAP細胞問題のように盗用が発生したわけではないが、文部科学省といった管理者が、問題をうまく管理できないという状態に陥った。

また、いわゆる「原子力ムラ」でも同じようなことが起きた。「安全だ」と言って内輪のことだけを考えて、外部からの指摘を無視し続けた業界人たちが、原子力発電所の事故で大きなしっぺ返しを受けることになった。そして、この状況に対し、管理者として働くべき政治家は必ずしもうまく問題を解きほぐすことができなかった。あまつさえ、専門家の判断に任せると称して、管理者としての責任を巧みに回避しようとしている。

それでは、なぜこのような問題が何度も発生するのだろうか。

なぜ問題が発生したのか?

内輪を向いた業界人から専門性を制御できない管理者に至る構造が発生している理由としては、2つのことが考えられる。1つは技術の進歩によるメディアの変化であり、もう1つは管理者の能力の欠如である。

メディアの変化と大量の指摘

先に触れたように、最近は外部からの指摘がインターネットから巻き起こる。昔は指摘を広く知らせるのが難しかった。しかし、今は技術の進歩により、誰もがメディアとなり、誰もが簡単に情報を流せるようになった。

このことによって、今までは考えられない量の外部からの指摘が出てくることになった。かつては大した量でなかったために外部からの指摘を無視することができたのだが、今では無視できない量の指摘が発生するのである。この大量の外部からの指摘を狭い業界は処理しきれない。だから、問題が起きるのだ。

そして、業界は往々にして情報を小出しにする。オリンピックのエンブレム問題でもSTAP細胞問題でも、情報が小出しにされてきた。業界側のペースがあまりに遅いために、外部からの指摘のペースに追いつけないのだ。もし、業界側が情報をすみやかにまとまった形で提示できれば、外部でわざわざ指摘をしようとする人も減っただろう。だが、実際に起きているのは、情報が小出しでしかでで来ないために、外部にいる人が情報の不足を感じ、さらにほじくり返そうとするという事態である。

こうしたことで、問題が大きくなり、顕在化するようになったのである。

能力の欠如した管理者

また、先に述べたように、管理者がなかなかうまく専門性を制御できていないという状況がある。これもまた、問題の一端である。結局のところ、今までは管理者が抱え込んでいる内輪の業界だけを相手にすれば良かったのが、メディアの変化によって外部の指摘にも目を通さなくてはならなくなった。

内と外のバランスをうまく取ってかじ取りすることは非常に難しい。そして、往々にして、問題が発生する場合は、管理者にその能力が欠如している。

どう対処すべきか?

今まで説明してきたような問題が発生すると、多大な損害が生じることもある。例えば、オリンピックのエンブレムが撤回されて、佐野氏のエンブレムを使ったポスターなどは無駄になってしまった。また、再度のエンブレム募集にも多大な費用がかかるだろう。このような損害を防ぐためには、どうすれば良いのだろうか。

そのためには、先に述べた問題を規定する3つの要素にそって考えていくのが良いだろう。

問題が大きくなる前に止める。
問題が大きくなる前に止める [6]

まずは、専門的な業界人たちができる対処法を考えよう。この段階については、外部にしっかりと情報を公開し、説明していくことが肝心であると思われる。専門家とそれ以外の人との間のコミュニケーションはなかなか難しいものだが、難しいといって避けていたら、問題が大きくなるばかりである。

次に、外部からの指摘という要素について考えよう。外部からの指摘には誹謗中傷に類するものもあるが、正当なものも少なくない。こういったものにしっかりと耳を傾けることが重要である。また、現代ではメディアの変化により、外部からの指摘が放っておくとどんどん大きくなる可能性がある。だから、問題が大きくなる前に、うまく問題を制御することが大事だ。大きくなったら止めるのが相当難しくなる。

最後に、専門性を制御する管理者について考えよう。先に述べたように、管理者がかじ取りをとるのは非常に難しい。だが、内と外のどちらかに偏らないようにするだけでも問題は良くなると思う。そして、外部から正当な指摘が出てくるようであれば、外部にも物事を判断できる専門家がいる可能性が高い。こうした外部の専門家をセカンドオピニオンとしてうまく活用することも大事だろう。

とは言え、こういった対処が簡単にできれば苦労しないわけで、オリンピックのエンブレム問題やSTAP細胞問題のようなことはこれからも起き続けるのだろうなと私は考えている。

脚注
  1. 産経ニュース(2015年8月15日).「デザイン模倣認め、謝罪 サントリービール賞品 五輪エンブレムの佐野氏」 http://www.sankei.com/economy/news/150815/ecn1508150005-n1.html、ITmediaニュース(2015年8月13日)「サントリー、佐野研二郎氏デザインのトートバッグプレゼントを一部取り下げ ネット画像無断使用の指摘」http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1508/13/news087.html []
  2. 朝日新聞デジタル(2015年9月1日).「東京五輪エンブレム使用中止 組織委方針 佐野氏が制作」 http://www.asahi.com/articles/ASH9146LWH91UTQP00W.html []
  3. Pixabayよりjarmoluk氏のパブリックドメイン画像を使用。 []
  4. 一昔前ならば、週刊誌の記事が外部からの指摘の端緒になることが多かっただろう。 []
  5. Pixabayよりliccastyle氏のパブリックドメイン画像を使用。 []
  6. Pixabayよりivanacoi氏のパブリックドメイン画像を使用。 []