質的研究なら簡単にできるという幻想

概要
「質的研究ならば、量的研究と違って数式や統計の知識がなくてもできるから簡単だ」と考える人がいる。こう考えるのは適当ではない。質的研究を行う際にはしっかりとした方法論を身につける必要があり、それは決して簡単なことではない。

量的研究と質的研究

研究というものはやみくもに進めれば良いというものではなくて、方法論に従って研究を進めていく必要がある。たいがいの学問分野には、こうやって研究していけば良いという決まったやり方がある。これが方法論というものだ。そして、方法論は学問分野によってそれぞれ異なっている。

さて、研究の方法論には、量的研究と呼ばれるタイプのものと質的研究と呼ばれるタイプのものがある。

量的研究では、研究対象を数値で表し、その数値を処理していくことで研究を進めていく。基本的には大量のデータを扱うことになり、統計の知識が必須になる。統計を理解するには、簡単な数式を読めるようになる必要があるから、間接的に数学の素養も必要となる。

これに対して、質的研究は、研究対象を数値化せずに捉えて研究を進めていく。インタビューや参与観察を行うことが質的研究の例として挙げられよう。

量的研究と質的研究のどちらがよく用いられるかは学問分野によって違う。いずれか一方しか使わない分野もある。

社会学・心理学・教育学といった分野では、量的研究と質的研究の両方が用いられる。例えば、教育学者が不登校の生徒について研究するとしよう。この場合、量的研究で研究を進めることもできるし、質的研究で研究を進めることもできる。不登校者の人数については文部科学省が「児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査」で集計しているデータがあるから、そのデータに出ている数値を分析して研究していくことができる。このように研究するならば、その研究は量的研究になる。また、不登校の生徒に実際に会って、インタビューを通じて、その生徒がなぜ不登校という状態に陥ったのか詳しく聞いて、研究していくこともできる。このように研究するならば、その研究は質的研究になる。

ただし、量的研究と質的研究で検証できることは異なる。先ほどの不登校の研究の例だと、量的研究ならば日本全国の状況を全体的に知ることができる。これに対して、質的研究では日本全国の状況を知ることはできない [1] 。逆に、質的研究では研究対象となった生徒の不登校の原因が詳しく分かる可能性があるが、量的研究ではそうはいかない。

つまり、量的研究を選択するか、質的研究を選択するかで得られる結果が明らかに違ってくるのだ。

だから、社会学・心理学・教育学といった量的研究も質的研究もありうる学問分野で研究を行う場合、量的研究と質的研究のどちらを選ぶかをしっかりと考える必要があるのだ。

質的研究を消極的に選択する悲劇

先に述べたことの繰り返しとなるが、量的研究と質的研究で検証できるものは異なっている。だから、自分の検証したい内容に応じて、量的研究と質的研究のどちらを選ぶのかを積極的に決めなくてはならない。

だが、このことが分かっていない人がいる。

かつて私が大学院生だったころ、「量的研究が分からないので、質的研究をします」と言う学生が何人もいた。この言葉はどういう意味か。要するに、統計の知識がないので、統計がいらない質的研究をするということなのだ。

量的研究を実施していくには、統計の知識が不可欠である。統計の知識を身につけるには、数式を読み解くための数学の素養が必要になる。

だが、数学が嫌いだから、数式が関わる勉強を敬遠するという人がいる。そうした人は統計の勉強も敬遠することになる。そうすると、統計の知識が身につかないから量的研究も敬遠せざるをえない。つまり、数式に対する苦手意識から、量的研究を避けようとするのである。こうした状況が、「量的研究が分からないので、質的研究をします」と言ってしまうことにつながるのだ。

数式に対する苦手意識から量的研究を避ける人は、検証したい内容が質的研究に適しているから積極的に質的研究を選ぶわけではない。質的研究を単に消極的に選んでいるに過ぎないのである。

消極的に質的研究を選ぶことは悲劇を招きやすい。なぜか。先に述べたように、量的研究で検証できることと、質的研究で検証できることは異なっている。このことをしっかりと認識しないと、量的研究で検証した方が良いものであっても、むりやり質的研究を実施してしまうことになるのだ。量的研究を敬遠したために、本来は合わない質的研究を選ぶことになってしまえば、研究成果を出すことが非常に難しくなる [2] 。その意味で、悲劇が起きるのだ。

質的研究の難しさ

方法論を身につけるためにはしっかりと勉強し、訓練する必要がある。
方法論を身につけるためにはしっかりと勉強し、訓練する必要がある。 [3]

「量的研究が分からないので、質的研究をします」という言葉の裏には、量的研究は難しいが質的研究は簡単だという考えがある。数式が苦手な人にとっては、統計やら何やらが出てくる量的研究は難しく思える。そうすると、数式がなくて簡単そうに見える質的研究に飛びつくというわけだ。

だが、少し考えてみれば分かるように、「数式がないこと」と「簡単である」ことはイコールではない。数式がないからといって、質的研究が簡単であるというわけではないのだ。

質的研究には質的研究の方法論がある。その方法論を身につけないとうまく研究することはできない。確かに、量的研究のように数式という難しいハードルを越える必要はない。しかし、質的研究には質的研究のハードルが存在し、それを乗り越える必要がある。

例えば、質的研究のやり方として、インタビューがある。インタビューと言うと、よく知らない人は「聞きたいことを質問して、答えをメモすれば良いだけでしょう?」と思うかもしれない。本当にそうだったら、どんなに簡単だろうか。

インタビューをするときには、決めなくてはならないことが色々ある [4] 。例えば、複数人に対してインタビューをする必要がある場合、1人ずつインタビューするのか、何人かまとめてインタビューするのか選択しなくてはならない。また、インタビューの結果をどのように分類するかも決めなくてはならない。

こうしたことを自分で判断できるようになるためには、しっかりと方法論を身につける必要がある。自分勝手に独りよがりで進めると、ちゃんとした研究にならない。方法論を無視して研究すれば、まわりの研究者から見向きもされないだろう [5]

また、質的研究は量的研究に比べて、主観の入る余地が大きい。うまくやらないと、研究者の思い込みによる独りよがりの研究しか出てこなくなってしまうのだ。それを防ぐためには、繰り返しになるが、質的研究の方法論をしっかりと身につける必要がある。そして、それはすぐに身につけられるものではなく、長い鍛錬を要するものなのだ。

要するに、質的研究は簡単でなく、しっかりと方法論を勉強する必要があるのだ。

結論

今まで述べてきたように、「質的研究なら簡単にできる」というのは幻想である。

質的研究にせよ、量的研究にせよ、研究したいというのであれば、しっかりと方法論を身につける必要がある。方法論を身につけるのは簡単なことではなく、しっかりと勉強し、訓練する必要がある。がんばろう。

ところで、方法論はどうやって学べば良いのだろうか。

大学生や大学院生ならば、自分の所属する大学の教員に方法論をしっかり教えてもらおう。しっかりとした学科なら、方法論の授業があるはずだ。そういった授業がない場合、教員に方法論についてよく相談するようにしよう。「こういうやり方で問題ありませんか?」と聞いたり、「こういうことをしたいのですが、何か参考資料はありませんか?」と質問するのもよいだろう。しっかりと教えてくれる先生なら、こうした質問に対して方法論を説明してくれるはずだ [6]

また、分野によっては方法論の教科書が存在していることもある。例えば、外国語教育研究の分野には『外国語教育研究ハンドブック――研究手法のより良い理解のために』という本がある。この本には外国語教育における方法論が、量的研究と質的研究の双方にわたって記されている。こうした教科書を活用して、方法論を身につけていくのも手だろう。

脚注
  1. 日本中の不登校の生徒全員にインタビューするといったことは現実的には不可能である。 []
  2. 寺沢拓敬氏が「英語教育学における質的研究の難しさ」という文章を書いている。そこでは、英語教育学において質的研究と相性が悪いテーマがあるということが述べられている。 []
  3. Flickrより UBC Learning Commons のCC BY 2.0画像を使用。 []
  4. インタビューに際してどれだけ多くのことに注意しなくてはならないかということを知りたければ、山口大教育学部の関口靖広氏が書いた教育研究のための質的研究法講座の「インタビューの方法について」という文章を参照のこと。 []
  5. 浦野研氏(@uranoken)は、2013年2月10日のTwitterのつぶやきで「質的量的研究の話でTLが盛り上がっているようです。断片的で何の話か把握できてませんが、英語教育研究に関していえばどっちもヒドイものが多いです。研究法についてのトレーニング不足が明らかな原因です。」と述べている。ここで言われているように、研究法(≒方法論)をしっかりと身につけていないかぎり、質的研究にせよ量的研究にせよ、しっかりとした研究にならないのである。逆に言うと、しっかりとした研究を行う最低限の条件として、方法論についてしっかりと勉強し、訓練を受けることが大事になるのである。 []
  6. 残念なことに、方法論をしっかりと教えてくれない教員も少なくない。そういう場合は、方法論に関する教科書を読んだり、人脈を広げて教えてくれそうな人に教えを請うたりしていこう。 []