名人伝―院生編

概要
天下第一の研究者になろうと志を立てた院生。教授のもとで「学之学」を身につけ、さらには名誉教授のもとで「不学之学」を身につけた院生の末路は?

本文

ある大学の研究室に所属する院生という男が、天下第一の研究者になろうと志を立てた。己の師と頼むべき人物を物色するに、斯学の権威である教授に及ぶ者があろうとは思われぬ。論文を専門誌に投稿するに皆査読を通過するという大家だそうである。院生は遥々教授をたずねてその門に入った。

教授は新入の門人に、まず先行研究をよく学べと命じた。院生は大学図書館に行き、図書館の奥深い書庫の中に潜り込んで、そこにある学術誌を片っ端から読んだ。たとえ自分の研究と関連が薄いものでもしっかりと内容を把握しようという工夫である。この院生を見た図書館員は大いに驚いた。第一、閉館時間になっても帰ろうとせず書庫から離れようとしないのでは困るという。厭がる図書館員を院生は叱りつけて、無理に閉館時間を先延ばしにさせた。来る日も来る日も彼は図書館に拠って、先行研究を学ぶ修練を重ねる。二年の後には、先行研究のうち彼が知らないものはなくなった。彼はようやく図書館の中から出る。もはや、ゼミで意地悪な質問をされても、口頭試問で重箱の隅をつつくような内容を問われても、彼は先行研究の内容を踏まえて議論できるようになっていた。こうなるに及んで、彼はようやく自信を得て、師の教授にこれを告げた。

それを聞いて教授がいう。先行研究をよく学ぶのみではまだ研究者として独り立ちするに足りぬ。次には、実験で小さな結果を積み上げることを学べ。実験を行うことに熟して、さて、小なる結果を視ること大のごとく、微なる結果を見ること著のごとくなったならば、来って我に告げるがよいと。

院生は実験室に戻り、マウスを探し出して、これを実験群と対照群とに分割した。そうして、それらに対して薬品を投与するなど、終日実験を行うことにした。毎日毎日彼はマウスを見つめて実験を行い、結果を記録していく。初め、もちろんそれは実験ノート一冊分の結果に過ぎない。二三日たっても、依然として実験ノートは一冊である。ところが、十日余り過ぎると、気のせいか、どうやらそれが実験ノートが二冊目に入ったように思われる。三月目の終りには、明らかにノートが積み重なっていた。実験室の窓の外の風物は、次第に移り変る。春には喜々として大学に来ていた新入生は、烈しい夏と授業をさぼりがちになり、澄んだ秋空の下をサークルつながりでできたカップルが歩いて行ったかと思うと、はや、破局したカップルが寒々とした灰色の空の下のもとで悲しむ。院生は根気よく、実験室にいる齧歯目の動物に実験を行い続けた。そのマウスも何千匹となく取換えられて行く中に、早くも三年の月日が流れた。ある日ふと気が付くと、実験ノートが山のように積み上がって見えていた。しめたと、院生は膝を打ち、実験結果を精査する。彼は我が目を疑った。結果は系統的であった。結果は膨大な量であった。雀躍した院生は、再び実験ノートに向き合い、その内容を論文にまとめて投稿すれば、論文は見事に採択され、しかも他の研究にしばしば引用された。

院生は早速教授の許に赴いてこれを報ずる。教授は高蹈して胸を打ち、初めて「出かしたぞ」と褒めた。そうして、直ちに斯学の奥儀秘伝を剰すところなく院生に授け始めた。

学術の基礎訓練に五年もかけた甲斐があって院生の腕前の上達は、驚くほど速い。

奥儀伝授が始まってから十日の後、試みに院生が学会で研究内容を発表するに、既に絶賛の嵐である。二十日の後、ネイチャーに論文を投稿するに、たちまちアクセプトされる。一月の後、論文の速成を試みたところ、第一の論文が査読を通れば、続いて書き上がった第二の論文は誤たず第一の論文同様に査読を通り、更に間髪を入れずに書いた第三の論文がこれまたインパクトファクターの大きな雑誌に採択される。絶えて査読に落ちることがない。瞬く中に、実験成果から百本の論文ができあがる。傍で見ていた師の教授も思わず「善し!」と言った。

二月の後、たまたま図書館に行って図書館員といさかいをした院生がこれを威そうとて論文をある学術誌に投稿した。すると論文はたちまち採択され、院生を罵り続けた図書館員の後ろの新着書置き場に置かれた。けだし、彼の至芸による論文執筆の速度と研究の精巧さとは、実にこの域にまで達していたのである。

もはや師から学び取るべき何ものも無くなった院生は、ある日、ふと良からぬ考えを起した。

彼がその時独りつくづくと考えるには、今や斯学において己より名声の高い者は、師の教授をおいて外に無い。天下第一の研究者となるためには、どうあっても教授を除かねばならぬと。秘かにその機会を窺っている中に、一日たまたま教授が書いた論文において、論理の穴に出遇った。とっさに意を決した院生がその穴を批判した論文を書けば、その気配を察して教授もまた院生の書いた論文の批判を書いて相応ずる。二人互いに批判論文を書けば、その度に中道にして相当り、共に有名学術誌に掲載された。掲載された批判論文が種々の研究で引用されたのは、両人の技がいずれも神に入っていたからであろう。さて、教授の実験データが尽きた時、院生の方はなお実験データを余していた。得たりと勢込んで院生がその実験データをもとに論文を書けば、教授はとっさに、以前得られた実験データをもとにメタ分析を行い、その結果をもってハッシと院生の議論に反駁した。ついに非望の遂げられないことを悟った院生の心に、成功したならば決して生じなかったに違いない道義的慚愧の念が、この時忽焉として湧起った。教授の方では、また、危機を脱し得た安堵と己が伎倆についての満足とが、敵に対する憎しみをすっかり忘れさせた。二人は互いに駈寄ると、研究室の真中に相抱いて、しばし美しい師弟愛の涙にかきくれた。

涙にくれて相擁しながらも、再び弟子がかかる企みを抱くようなことがあっては甚だ危いと思った教授は、院生に新たな目標を与えてその気を転ずるにしくはないと考えた。彼はこの危険な弟子に向って言った。もはや、伝うべきほどのことはことごとく伝えた。汝がもしこれ以上この道の蘊奥を極めたいと望むならば、海外の某研究室に行け。そこには名誉教授とて古今を曠しゅうする斯学の大家がおられるはず。名誉教授の技に比べれば、我々の学術のごときはほとんど児戯に類する。汝の師と頼むべきは、今は名誉教授の外にあるまいと。

院生はすぐに海の向こうに旅立つ。その人の前に出ては我々の学術のごとき児戯にひとしいと言った師の言葉が、彼の自尊心にこたえた。もしそれが本当だとすれば、天下第一を目指す彼の望も、まだまだ前途程遠い訳である。己が業が児戯に類するかどうか、とにもかくにも早くその人に会って腕を比べたいとあせりつつ、彼はひたすらに道を急ぎ、彼はようやく目指す研究室に辿りつく。

気負い立つ院生を迎えたのは、羊のような柔和な目をした、しかし酷くよぼよぼの爺さんである。年齢は百歳をも超えていよう。大声に遽だしく院生は来意を告げる。己が学術の程を見てもらいたいむねを述べると、あせり立った彼は相手の返辞をも待たず、いきなり背に負うたPCを取り出して手に執った。そうして、怒濤の勢いでプログラムを書いてシミュレーションを行う。PCの画面上には、シミュレーションにより、今まで知られていなかった学術成果が鮮やかにあらわれてきた。

一通り出来るようじゃな、と老人が穏かな微笑を含んで言う。だが、それは所詮学之学というもの、好漢いまだ不学之学を知らぬと見える。

ムッとした院生を導いて、老学者は、そこから二十キロメートルばかり離れた山中の別荘まで連れて来る。そこには安楽椅子があるばかりで、研究書はまったく置いてない。ネット環境がないどころか、電気すら通っておらず、石油ランプをともす必要があるほどである。どうじゃ。この外界から隔離した何もない場所で先刻の業を今一度見せてくれぬか。今更引込もならぬが、このような場所では実験を行うこともできず、電子ジャーナルを読むことすらできぬ。覚えず院生の脚はワナワナと顫え、汗は流れて踵にまで至った。老人が笑いながら彼に手を差し伸べた。では研究というものをお目にかけようかな、と言った。まだ動悸がおさまらず蒼ざめた顔をしてはいたが、院生はすぐに気が付いて言った。しかし、実験はどうなさる? 先行研究の調査は? 老人はパソコンすら持っていなかったのである。実験? と老人は笑う。自ら実験を行う必要があるうちはまだ学之学じゃ。不学之学には、先行研究の調査も系統的な実験もいらぬ。

ちょうど彼等のいる場所に、郵便である学術誌が送られてきた。その目次を見るに、ある論文の第一著者が名誉教授ではないか。見よ、名誉教授は安楽椅子に座っているだけにもかかわらず、その弟子が実験を行って論文の第一著者の欄に名誉教授の名前を書いて来るではないか。

院生は慄然とした。今にして始めて学界の深淵を覗き得た心地であった。

九年の間、院生はこの老学者の許に留まった。その間いかなる修業を積んだものやらそれは誰にも判らぬ。

九年たって帰国した時、人々は院生の顔付の変ったのに驚いた。以前の負けず嫌いな精悍な面魂はどこかに影をひそめ、なんの表情も無い、木偶のごとく愚者のごとき容貌に変っている。久しぶりに旧師の教授を訪ねた時、しかし、教授はこの顔付を一見すると感嘆して叫んだ。これでこそ初めて天下の名研究者だ。我儕のごとき、足下にも及ぶものでないと。

大学は、天下一の名研究者となって戻って来た院生を迎えて、やがて眼前に示されるに違いないその学術成果への期待に湧返った。

ところが院生は一向にその要望に応えようとしない。いや、実験用マウスさえ絶えて手に取ろうとしない。そのわけを訊ねた一人に答えて、院生は懶げに言った。至為は為す無く、至言は言を去り、至学は学ぶことなしと。なるほどと、至極物分りのいい大学人たちはすぐに合点した。あえて研究を行わぬ研究の達人は彼等の誇となった。院生が研究について触れなければ触れないほど、彼の学術上の名声はいよいよ喧伝された。

様々な噂が人々の口から口へと伝わる。毎夜三更を過ぎる頃、院生のいる研究室に文科省のお偉方が訪れて莫大な額の科研費を渡した。院生の内に宿る研究の神が主人公の眠っている間に体内を脱け出し、科研費申請を行っているのだという。ある夜、彼の研究室の付近を通った大学生協の職員は、院生に珍しくも研究書を手にして、カロリンスカ研究所の二人を相手に科学を語っているのを確かに見たと言い出した。院生には来年ノーベル物理学賞、ノーベル化学賞、ノーベル医学生理学賞が同時に授与されるとのことである。院生の論文のもつインパクトファクターを計算しようとしたところ、あまりに引用されていたために桁あふれを起こしたと白状した学術文献データベース会社の担当者もある。

雲と立罩める名声のただ中に、名研究者たる院生は次第に老いて行く。既に早く学術を離れた彼の心は、ますます枯淡虚静の域にはいって行ったようである。「既に、自分の研究と他人の研究との別、正確な実験結果と捏造された実験結果との分を知らぬ。研究ノートは学会発表のごとく、学会発表は論文投稿のごとく、論文投稿は学会発表のごとく思われる。」というのが、老名人晩年の述懐である。

名誉教授の許を辞してから四十年の後、院生は静かに、誠に煙のごとく静かに世を去った。その四十年の間、彼は絶えて学術に関することを口にすることが無かった。口にさえしなかった位だから、筆を執って自ら論文を書くという活動などあろうはずが無い。もちろん、寓話作者としてはここで老研究者に掉尾の大活躍をさせて、名研究者の真に名研究者たるゆえんを明らかにしたいのは山々ながら、一方、また、何としても事実を曲げる訳には行かぬ。実際、老後の彼についてはただ無為にして化したとばかりで、次のような妙な話の外には何一つ伝わっていないのだから。

その話というのは、彼の死ぬ一二年前のことらしい。ある日老いたる院生が知人の研究室に招かれて行ったところ、その研究室で一つの動物を見た。確かに見憶えのある動物だが、どうしてもその名前が思出せぬし、その用途も思い当らない。老人はその研究室の主人に尋ねた。それは何と呼ぶ動物で、また何に用いるのかと。主人は、客が冗談を言っているとのみ思って、ニヤリととぼけた笑い方をした。老院生は真剣になって再び尋ねる。それでも相手は曖昧な笑を浮べて、客の心をはかりかねた様子である。三度院生が真面目な顔をして同じ問を繰返した時、始めて主人の顔に驚愕の色が現れた。彼は客の眼を凝乎と見詰める。相手が冗談を言っているのでもなく、気が狂っているのでもなく、また自分が聞き違えをしているのでもないことを確かめると、彼はほとんど恐怖に近い狼狽を示して、吃りながら叫んだ。

「ああ、夫子が、――古今無双の研究者たる夫子が、実験用マウスを忘れ果てられたとや? ああ、実験用マウスという名も、その使い途も!」

その後当分の間、学術界では、化学者は試験管を隠し、生物学者は顕微鏡のレンズを外し、歴史学者は史料を手にするのを恥じたということである。

注意書き

この物語はフィクションです。