「金日磾」の発音について

概要
「金日磾」という人物の「日」は中国語で特殊な読み方をする。このようになった理由として、直前の音の影響を受けたという説と、別の字と混同したという説が挙げられている。

はじめに

前漢の武帝に仕えた人物に「金日磾」という人がいる。この人は、もともと匈奴の王子であったのだが、前漢に捕らえられ、以後は漢王朝のために働くことになる。「金日磾」は、日本語では「きん・じつてい」と、何もひねらずに音読みで発音するだけである。しかし、中国語ではかなり特殊な読み方をし、“Jīn Mì Dī”(チン・ミー・ティー)になる。「日」という字は“rì”(ルー)と読むので、“mì”と読む「金日磾」は極めて珍しい読み方となる。

それでは、なぜ「金日磾」の「日」は“mì”と読むことになったのだろうか。主要な説としては、以下の2つがある。

以下、上記2説を詳しく見ていきたい。

直前の音の影響

「金」という字は、古い中国語では、“kim”のように発音したと言われている。現代の朝鮮語で、「金大中」を「キム・デジュン」と読むように、「金」という姓を「キム」と読むのは、その名残である。「金」の末尾の“m”が、「日」の頭にくっつくことで、「日」が“mì”と読むようになったのではないか、という主張が、史佩信 (1997) [1] においてなされている [2]

このように前の字 [3] の最後の音が次の字に影響を及ぼす現象は日本語にも見られる。例えば、「三悪道」という仏教用語がある。これは、悪人が生まれ変わるとされる畜生道・餓鬼道・地獄道のことを示す用語だが、「さんまくどう」と読むことがある。「悪」という字は本来「あく」と読むのに、「まく」となってしまっているのは、「三」から影響を受けたからである。現代語では分からなくなってしまっているが、「三」はかつて“sam”のような音をしていた。この末尾の“m”が「悪」にくっつくことで、「まく」と発音するようになったのである [4]

しかし、この説明に対して、問題点が2つ指摘されている。1つ目は、直前に“m”がなくても、“mì”と読む場合があるということである。王健 (2002) [5] は、「馬日磾」(ば・じつてい)という人物の例を挙げている。馬日磾は後漢末期 [6] に政府の高官を務めた人物であるが、この人物の「日」も“mì”と読む。「馬」は「金」と違って、末尾に“m”という音を持たないので、先ほどの説明は「金日磾」は説明できたとしても、「馬日磾」は説明できないということになる。ただ、史佩信 (2008) [7] が反論しているように、「金日磾」の発音に引きずられて「馬日磾」も“mì”と読むようになったとも考えられる。「金日磾」は「馬日磾」より300年近く前の人物であるし、知名度でも「金日磾」の方が上であるから、「金日磾」の発音の方に引きずられる可能性はないわけではないだろう。

もう1つの問題点は、「日」という字の終わりの子音がうまく説明できないということである。現代中国語では「金日磾」の「日」を“mì”と読むのであるが、実はこれは古い時代において“mik”のように発音されていた [8] 。つまり、昔は、末尾に“k”があったのである。そして、古い事態において、「日」は通常“nit”のように発音されており、これの末尾は“t”である。先ほどの説明では、「日」の頭の子音が“m”になったことは説明できるのだが、末尾の子音が“t”から“k”になったことは説明できないと、史佩信 (2008) [9] は述べている。

他の字との混同

湖南省に、汨羅江 [10] という川がある。この「汨」という字は「べき」という音を持つ。現代中国語では、“mì”という発音になる。つまり、「金日磾」の「日」と同じ音である。漢字の構成原理として、形声というものがあり、これは意味を担う部分と音を担う部分を組み合わせるということである。「汨」の字について言えば、この字は川の名前を表すものだから、さんずいが意味を担う部分であるはずである。ということは、「日」が音を担うということになる。

史佩信 (2008) [11] は、この「汨」の「日」が、本来は「冃」という字だったという文献があることに触れている。この「冃」という字は、古くは“mik”のように、現代で言えば“mì”のように発音されるので、「金日磾」の「日」と同じ音である。そこで、本来「金冃磾」だったものが、「冃」がいつの間にか「日」と混同されてしまい、表記上は「金日磾」になったものの、発音は“mì”のまま変わらなかったと考えることができる。

脚注
  1. 史佩信. (1997). 〈“金日磾”的“日”为什么读“密”〉. 《文史知识》第8期. []
  2. ただ、「日」の頭には“n”という子音がついているはずなので、「金」の末尾の“m”はこの“n”をなんとかして追い払わなくてはならない。この辺の説明が危うい。ただ、そもそも「日」の頭には子音がなかったと考えれば、一応説明は付く。 []
  3. 厳密に言うと、前の音節になる。 []
  4. こういった現象を連声(れんじょう)と呼ぶ。 []
  5. 王健. (2002). 〈“日”字为什么读“mì”〉. 《古汉语研究》第4期. []
  6. 董卓が実権を握った時期というと分かりやすいかもしれない。 []
  7. 史佩信. (2008). 〈再说“金日磾”的“日”字为什么读mì〉. 《古汉语研究》第1期. []
  8. 音韻学的な言い方をすると、莫狄切。 []
  9. 史佩信. (2008). 〈再说“金日磾”的“日”字为什么读mì〉. 《古汉语研究》第1期. []
  10. 戦国時代の楚の屈原が沈んだ汨羅はこの川と同じ流れである。 []
  11. 史佩信. (2008). 〈再说“金日磾”的“日”字为什么读mì〉. 《古汉语研究》第1期. []